さて、物語の舞台になるウェイルズ南部の村フュノンターヴ――英名タフスウェル――。ヴィレッジということなので、普通のタウンよりも格が上の集落で、その中心部に教会・礼拝堂がある規模の町だ。
とはいえ、ブリテン王国の中央政府やロンドンのエリートから見ると「ウェイルズ辺境の貧しい田舎町」だ。
ところが「辺境の貧しい村」であるがゆえに、ある意味ではむしろ戦争の影響を深く被っているのだ。
ブリテン王国陸軍は、ヨーロッパ大陸の凄惨な最前線に兵士として送り出す若者たちをUK(連合王国)の各地から徴募した。とりわけ産業=雇用機会の乏しい貧しい辺境地帯の若者たちが軍に集められた。軍という産業に雇用機会を求めるしか道がなかったからだ。そして、最も悲惨な戦場に送り出された。
したがって、そういう辺境地帯ほど、若い世代の戦死者や負傷者が多いという結果になる。
フュノンガルウの麓のこの集落でも、戦場に駆り出されていった若者の多くが、いまだ戦線にとどまっているか、戦死したかして、故郷に戻ることができなかった。帰還しても、ジョニーのように精神を深く病んでしまっていた。
それは、恋人や夫を失った若い女性(寡婦)が増えるということを意味する。
その結果何が起こったか。
この村には宿屋を兼ねた酒場が1軒あった。店主はモーガンという大柄な男だ。女好きで強引な男である。モーガンはその強引さを武器して、集落内で――夫や恋人が大陸で戦死したために――孤閨をかこつ女性のところに押しかけて性的関係を結んでいた。
だから、彼は「雄羊モーガン」(雄羊は露骨な性欲を象徴する)と呼ばれている。
その結果、しばらくすると集落のあちらこちらで、モーガンによく似た赤ん坊が目立つようになった。しかし、鷹揚な住民たちは、若い男たちがいなくなった集落に子どもたちが増えることを喜んでいたので、ことさらモーガンを責めることはなかった。
倫理的には多少問題はあるが、辺境の村で出産によって人口が増えることは「とにかく喜ばしいこと」だったのだ。
しかしながら、町の教会の牧師、ジョウンズは、この事態を苦々しく思っていた。イングランド国教会司祭として、風紀や道徳の乱れを嘆いていたのだ。
そして、牧師は毎週日曜日に、住民たちが教会(礼拝堂)に集まると、若い女性=母親たちが、明らかに同じ男を父親としていることがわかるほど顔立ちがよく似た幼子を抱いている姿を目にしていた。
かくして、大っぴらに酒類を売りまりながら、おおおぜいの若い女性に手を出しているという意味で、二重の意味で村の道徳・風紀の乱れの元凶となっているモーガンと、倫理や宗教的戒律を重んじるジョウンズ牧師とは、ことあるごとに角突き合わせるということになっていた。
牧師と酒場のおやじとは天敵どうしだった。