というわけで、フュノンガルウの頂上を嵩上げするという「神聖な任務」は、悪天候のために日曜日の昼近くまで再開することができなかった。
このときようやく雨は去たのだが、イングランド人たちは任務の期限からして、月曜日にはウェイルズ北部での山岳測量に向かうことが避けられない状況だった。
とはいえ、数日間ガラードは酒浸りでいたために、ひどい頭痛で、日曜日のうちの移動は不可能になった。
ところで、ジョウンズ牧師は葛藤していた。
その日は安息日で、教会の戒律によれば仕事をしてはならない日だった。だが、フュノンガルウへの誇りを回復するためには、人びとを土運びの仕事に駆り立てなければならない。教義・戒律とウェイルズ人としての使命との板挟みになっていた。
その日の朝の礼拝で、どう説得して人びとを土運びの仕事に動員するか。
彼は安息日の朝の祈祷のために祈祷書(聖書)を開いた。ところが、たまたま開いたペイジにまさに「神の啓示」が記されていた。「神聖なる丘 hill に登れ」と。
つまり、フュノンガルウに登って嵩上げ仕事をすることは、神の意にかなう活動ということになる。
というわけで、町の住民総出で土運びと嵩上げをおこなうことになった。
そもそもイデオロギー装置としての教会組織の機能は、民衆を当面する政治的課題に向けて煽動・動員することだから、聖書のそういう御都合主義的ない解釈は当然のことだったのかもしれない。
もとよりそれに加えて、ジョウンズ牧師が、イングランドに対抗してウェイルズ人としてのアイデンティティや誇りを保つこととイングランド教会に属すこととのあいだに矛盾を感じていないのも御都合主義なのだが。
ところで先日、フュノンガルウの頂上に盛り上げた土山は降り続いた雨のせいで2フィートばかり低くなっていた。雨水に流されたり崩れたりしていたのだ。
その日の昼前から始まった作業は、しばしの昼の休憩などを挟んで、夕方近くまで続いた。それでも、1000フィートまではわずかに1フィート足りなかった。最後の1フィートが大きな壁として、住民たちの前に立ち塞がっていた。
ところが、日が大きく西に傾いた頃合い、あのジョウンズ牧師が突然よろけて倒れ込んでしまった。ジョウンズはそのまま意識を失って死亡してしまった。
彼の年齢はもう82歳だった。その彼が老骨に鞭打って、今日はフュノンガルウの麓と頂上を5、6回も往復していたという。重い土を携えてである。だから、ひどいストレスと疲労がジョウンズを神のみもとに運び去ってしまったのだ。
だが、昏睡に陥る直前に「遺言」を残していた。
「私の棺をフュノンガルウの頂上に埋めて墓碑を建てろ」と。
ただちに医師と判事が呼ばれてジョウンズの死亡を確認し、彼の遺言を執行することになった。
ジョウンズの遺言の目論見は、頑丈な棺を頂上に安置し、土盛りして墳墓と墓碑を建てることで、足りなかった1フィートの嵩上げができるようにしたいという執念だった。
こうして、ジョウンズ牧師の死という代償と引き換えに、フュノンガルウは標高1000フィートに達して、「山」の基準を満たすことになった。
だが、そのときすでに日はすっかり暮れてしまっていた。
それにしても、このあとも大雨がくると頂上の盛り土は崩れてしまう惧れがあった。この点について、トーマス兄弟が素晴らしい提案をした。
「芝草を張りつけて生やせば、山は崩れないさ。この山頂を守るためにぴいたりの芝生のありかを知っているよ」と顔を輝かせた。
彼らが向かった場所は、町立のラグビー場だった。コートでは丹精をこめて手入れされた芝生が緑に輝いていた。
住民たちは寄ってたかって芝生を剥がして切り取り、山頂まで運び始めた。町の巡査がこの作業を指揮した。ところが、町長らしい男がこの粗暴な行為に憤慨して乗り込んできた。
「議会の承認を取りつけたのか!?」と人びとに迫った。が、巡査を含めた住民たちは相手にもしなかった。何しろ、町の名誉と人びとの心の安定や尊厳がかかっているのだから。