大富豪のおばあちゃんとは、和歌山県龍神村の大山林王、柳川家の当主、とし子刀自のこと。82歳ほどになります。
とし子は柳川一族本家の一人娘として生まれ育ち、婿として迎えた2人の夫はとうに他界しています。とし子は7人の子を産み、夫亡き後は、多くの家人の手を借りながら女手ひとつで育て上げました。
穏やかな未亡人ですが、紀州一の山林王の家産を切り盛りしてきたすご腕の経営者でもあります。県内のいくつかの有力企業の大株主でもあるのです。事業の経営だけではありません。豊かな資金を背景に、幅広い慈善活動に出資し、援助しているのです。いくつもの孤児院や福祉施設の「事実上のオウナー」でもあるのです。
ただし、「金は出すが口は出さない」分と節度を律儀に守る人です。
人材の育成、教育にも熱心で、意欲や能力はあるが家庭が豊かでない学生や若者のために育成資金・奨学金も提供してきました。
現在の和歌山県警の本部長、井狩大五郎も、とし子刀自のおかげで大学を卒業できました。入学から卒業までに6年かかったのですが、その学費は将来を見込んだ刀自が負担してくれました。
その後、井狩は、たゆまぬ努力と生来のすぐれた直観力や捜査勘を武器に、警察のエリートに登りつめました。
ゆえに、このおばあちゃんには深い恩義を感じ、今でも頭が上がらないところがあります。
そのほか、とし子刀自(柳川家)は、和歌山放送をはじめ、和歌山県内の主要ないくつかの企業の大株主でもあるのです。
それやこれやで大きな資産と影響力をもつのですが、山林資産は4万ヘクタールで、評価額およそ700億円とか。
例の3人の若者が要求しようと考えている身代金は5千万円。こじんまりと律儀な要求金額です。が、彼らにとっては、それすら雲の上の巨額の財産なのです。
さて、この3人組みが見張りを始めた頃は、お盆の終わりの8月16日。
おばあちゃんは、ずっと前に亡くなった3人の子どもたちに「送り盆」のあいさつをしていました。
3人の子どもとは、長男の愛一郎、長女の静江、次男の定義で、みんな太平洋戦争の戦火のなかで命を失ったのです。
3人の死を思うとき、とし子刀自にとっては、いつまでたっても、痛切な哀しみがよみがえるといいます。
その日から3人組が風雨に打たれ、藪蚊に悩まされながら、柳川家の見張りを続けて1月以上たったある日のこと。
刀自が朝風呂を出てから窓の外を眺めると、豊かな緑におおわれた南紀の美しい山並みが見えました。刀自はため息をつくようにつぶやきました。
「お山って、こないに美しいもんやったんやなあ」。
そのとき刀自は、所有する山林全部を歩いて回ろうと決心しました。思いついたらすぐ実行です。その日から毎日、刀自は若い女の子を連れて山歩きを続けることになりました。
吉村紀美という、その妙齢の女性は、刀自の許に「花嫁修業兼行儀見習い」で身を寄せているのです。
「また大奥様の気まぐれが始まった」と嘆息したのは、柳川家の大番頭(執事頭)、串田孫兵衛老人です。
串田孫兵衛を演じるのは、名優、天本英世です。