そのとき放送車の大型ライトが、谷川のほとりに立つ柳川とし子刀自を浮かび上がらせました。
刀自は、健次からマイクを受け取ると、おもむろに話し始めました。まず、WTBの社長と報道局長に「私のために、ようこらえてくれました」と頭を下げて感謝しました。
すると、テレビ局のスタジオにいる可奈子と英子が泣き出さんばかりの顔つきで、刀自が映る画面に近づきました。しばし、刀自の生活と近況について親子のあいだでやり取りがありました。
そして、話題は巨額な身代金に移りました。
国二郎は「おかあはん、うちにそんな支払い能力がないことはご存知のはずじゃありませんか」と問いかけます。
「通常の手段ではな…」と切り出した刀自は、驚くべき「資金調達方法」を提示しました。
その方法とは、このさい、刀自が柳川家の全資産を子どもたち兄弟姉妹に贈与するというものです。
刀自はすべての山林資産の具体的状況を詳細に知悉していました。
その資産評価額はおよそ720億円。
(事件当時の)税制では、資産総額7千万円以上の場合、贈与税も相続税もともに70%で、柳川家は約510億円の贈与税を納めるが、手許に約210億円の資産が残ります。それを、銀行団の協力を得て現金に換えれば、身代金100億円は確保できるというのです。
そのためには、全資産の洗い直しと評価計算、家屋、土地、山林全区画・全筆の所有権の移転登記、さらに銀行団との交渉など、煩雑で膨大な作業が必要です。
どれを手抜きしても、資金確保はおぼつかないのです。
「私が本当に大事と思うたら、お前らきょうだいの死に物狂いの努力が必要です」と刀自は念を押しました。
兄弟姉妹は、刀自の話を聞きながら、少しずつ家産の管理者となるべき覚悟と努力の必要を心に築いていったようです。
放映時間の終了直前に、刀自は井狩に話しかけました。誘拐犯は約束は守ると思うので、このあとは「虹の童子」と柳川家の取引き交渉としてまかせてほしい、と。
そして、
「このたびは、本当にご迷惑をおかけしますね。……では、井狩はん、体をお気をつけはってな」と深いお辞儀をしました。
心の奥底にしみるような誠実な声と姿だった。
その映像を見ながら、井狩の目は遠くを見つめていました。申し遅れましたが、井狩本部長を演じるのは、緒方拳です。存在感ばっちりです。
直後、刀自は3人の「童子」たちに抱きかかえられるようにいたわられながら、夜の闇に消えました。
この場所は龍神村の一角だと気づいた村人たちが駆けつけました。が、深い谷にはばまれて、刀自の消えた方角に動くことはできません。
数秒後、けたたましい警笛とともに、派手な虹色に染め上げられたマークUが、放送車のライトからの光の輪のなかに浮かび走り去りました。
以来、「虹の童子」をふたたび見ることはなくなります。