3人組は人里離れた山中でもう40日以上も、柳川家と刀自(おばあちゃん)を見張り続け、疲労困憊しているはずです。
しかし、若い女性の紀美を残せという刀自の説得に耳を貸しました。道理や人情には柔軟に対応する「心」をもつ若者たちだと刀自は確信したようです。
誘拐をするという点では志は低いが、目的のためにひたすら艱難辛苦を耐え忍ぶ忍耐力と強い意思、そして道義心、人の説得に耳を貸す寛容さを備えている、と。
なにしろ、莫大な経営資産と家産を運営し、多数の従業員を率いる柳川とし子刀自は、紀州では指折りの財界有力者の1人です。
これまでに、上は内外の経済界の有力者からはじまって、下は巨額の資産のおこぼれに与ろうとする詐欺まがいの「食わせ者」まで、刀自はさまざまな人物と渡り合ってきたのです。
人の器量や才覚、誠実さ、反対に虚偽や詐術を見抜く目をもっているのです。その刀自の「心」に響く何かを、この「しょうもない若者ら」はもっていたようです。
たしかにこの誘拐作戦のなかで、3人組は忍耐力だけでなく、自発性や自己犠牲の精神を身につけたようです。
あの軽薄な平太は、変わっていました。
和歌山市街にアジトにするために借りたアパートを長く留守にするのは、嫌疑を招く要因になるということで、週の半分以上、真夜中に、マークUで走ってアパートに行って夜を過ごし、明け方ふたたび見張り場所に戻るというスケジュールを守っていました。
自ら率先して言い出したことで、その道のりは往復100km以上になり、山道が大半でした。寝不足は持ち場での仮眠で補っていました。
さて、3人組は刀自にアイマスクで目隠しをして車に乗せ、山道を和歌山市方面に向かって走り出しました。
そのとたん、刀自が問いかけました。
「ひょっとしてアジトは和歌山市内やあらへんやろな…」と切り出し、井狩本部長率いる和歌山県警の捜査能力なら、和歌山市街の貸しアパートなんかは短時日に割り出してしまうはずだと断言しました。
刀自の説明は説得力抜群です。
行き先、逃げ場を失った3人組は、国道脇の空き地に車を乗り入れて止め、しばし考えあぐねました。
そして、健次はなんと、誘拐した人質の刀自に自分たちの窮境を打ち明けて頼みました。
「俺らの言うことに素直に従うという約束やから、隠れ家を世話してほしい。何とかならへんか、おばあちゃん」と申し込んだのです。
「あてはないこともないんやがなあ…」と言いながら、刀自が3人組を連れて行ったのは、峠を越えて奈良県側のさらに山奥。
一番近い集落からも8km以上も離れた山腹の斜面に建つ一軒家。日はとっぷりと暮れていました。
この家にたった1人で住むのは、以前長年にわたって柳川家の女中頭を勤めていた中村くら(通称クーちゃん)。もう一昔も前に連れ合いを亡くしていました。
刀自が3人を後ろに、その家の玄関で訪いを請うと、家のなかで物が衝突する大きな音がしたと思ったら、いきなり玄関の戸が開き、初老の女性が飛び出してきました。
そして、刀自を見つけると、感涙に咽びながらすがりつきました。
くらは、刀自を神様以上に尊敬し慕っていました。刀自を心から慕う、腹のすわった力持ちのクーちゃんを演じるのは、芸達者の樹木希林。
かくして、山里の一軒家を隠れ家とする、くら、刀自、そして3人組の奇妙な生活が始まったのです。
3人組はサングラスと白マスクで顔を隠して、刀自とクーちゃんに人相を見せないようにしています。クーちゃんは、サングラスのマスクという怪しい風体の3人が刀自の配下で忍者ではないか、刀自は何やらもくろみがあって、こんな山中にやって来たのだろうと思ったのでした。