その深夜、柳川家とその家人・従業員たちの資産洗い直し、評価(納税)計算が始まりました。
山林の公図や詳細地図、植生・地質・地味の調査地図(賢明な山林経営者の手許には必ず用意してある)の精査と評価計算、納税=現物代納部分の割り当て作業が進められました。
作業のさなか、「なんで、こないに仰山、国に納めなければならんのや」と英子がため息混じりに言い放ちました。全員の気持ちがそこに込められていました。
資産や経済的分配の格差是正といいながら、財産権の移転のたびに国家は、善意の所有者たちからも財産を無慈悲に奪い取っていきます。
なかには、大勢の従業員に仕事と収入を保証するための経営資産でさえも、容赦なくむしりとられ、国庫に取り込まれてしまいます。国家財政の資金となった資金は、官僚たちや政治家の利権闘争や駆け引きによって、庶民の生活には遠いところに注ぎ込まれてしますようです。
地方の経営=生活資源が中央政府・官庁に飲み込まれてしまうのです。
さて、この経済的評価・計算という煩雑な作業で飛び抜けてすぐれた能力を発揮したのは、なんと「刀自のスネ丸かじり画家」、大作でした。
夜明け寸前、疲れ果ててぐったりしているみんなを横目に、資料と電卓を駆使して、資産総額、納税分、兄弟の保有分をきっちり計算を完了しました。
「なんと、おかあはんの言った数値とピッタシや!」大作は達成感とともにあらためて母への畏敬を感じるのでした。
大作はさらに「残りの200億の山林も残せるものなら、俺たちの手で残したいがな(きちんと経営していきたい)」と提案しました。
全員賛成で、この資産を担保に銀行団から有利な条件で借入れ交渉をおこなうことにしました。
その後の煩雑な手続きは省略するとして、……とにかく、銀行から100億円の現金を調達できることになりました。
そして、「童子」から身代金の受渡し方法の指示が来ました。主に、次のことを求めていました。
@柳川家の人びとが1万円札100枚の束を400個ずつ透明な塩ビの大きな袋に詰める(25袋できる)。この過程をテレビとラディオで実況中継すること。
A25袋を、柳川家が大株主の航空運輸会社の大型ヘリコプターに積載して、指定した時間に指定したコースを飛ぶこと。これについても、追走ヘリから中継放送すること。
B受渡しの時間と方法は、無線でヘリの操縦士(これも「童子」が指名した)に連絡する。
などで、これらの要求を記した手紙には、ヘリのコースを図示した紀伊半島の地図がが添えられていました。
その地図上には、紀伊半島の南端、潮岬を頂点として、紀伊山地を東西に横切る線を底辺とする、1辺100kmあまりの正三角形が描かれていました。
和歌山県警は、近隣府県からの応援要員を含めておよそ3000名の警察官を、この受渡し作戦の捜査のために配置しました。
うち、500名を奈良県南西部(警察はこの地区をR地区と呼んだ)に配置。そのなかにはクーちゃんの家がありました。