「ええこと思いついたわ。おばあちゃん」
いままで落ち込んでいた健次の元気な声に、刀自は振り返りました。
「俺、おばあちゃんの家で住み込みで雑用に使ってもらうわ。刑務所で木工習ったさかい、簡単な大工仕事ならできるさかいな。俺、おばあちゃんの生き様いうんの、そばでじっくり学ばしてもらうわ」
「大胆な子やね。あんたの声、紀美さん一生忘れんで、家に来たら、いっぺんでばれてしまうやないの」
「いますぐやから、大丈夫なんや。いまなら、『声のそっくりはん』で済むから」
というわけで、健次は柳川家に雑用係として住み込むことになりました。刀自に一番最近弟子入りした門下生になったのです。
そのため刀自は、100億円――正確には、平太の1千万が差し引かれているが――の安全な隠し場所を思案することになりました。
健次の最初の仕事が、その隠し場所づくりで、すなわち朽ちかけた阿弥陀堂の修復作業です。
阿弥陀堂のコンクリートと石でできた土台の内部は空洞で、そこにぽっこり1万円札が99万9千枚収まることになったのです。そして、なかなか見栄えのする阿弥陀堂が再建されました。
いま、井狩がその阿弥陀堂を見回しています。お堂の扉を開けて、中を覗きました。
金色に輝く阿弥陀如来や須弥壇が見えます。しかし、100億円の気配はまったくないようです。
井狩は振り返って、刀自を見つめて言いました。
「要するに、あの事件は、おばあちゃんにとってメルヘンだったんですね」
「はいな」
刀自が遠くに目をやると、緑豊かな美しい山並みがありました。
監督、岡本喜八は、「戦争と人間」「個人と国家」「権力と民衆」というような問題をバックグラウンドテーマとする作品を数多く手がけてきたように思います。
「大誘拐」でも、柳川とし子刀自の「お国」に対する想いが、事件の背景に横たわっています。
そして、それは原作者、天藤真の中心的なメッセイジの1つでもあるでしょう。
原作の巧みなプロットと上質なウィットは、もとより岡本喜八を映画作りに惹きつけた要因であることは間違いないでしょう。
けれども、岡本の創作意欲に最も深く結びついたのは、「お国」に対する刀自の想いだったろうと思われます。
戦争を引き起こしてかけがえのない人命を多数奪い、平和時にさえも個人の運命や財産をコントロールする国家の権力。
それに対する原作者と岡本の、諧謔に満ちた、それでいて静かで真摯な問いかけ、それがくっきりと私の心に響いてきました。
物語の鮮やかな展開と快い結末とともに。