事件解決から1か月後、井狩は1冊のノートが入った封筒を手に、柳川家に向かいました。
誘拐事件が連日マスコミで報道されたせいか、龍神村、なかんずく柳川家は全国に知れ渡り、いまや大人気の観光スポットになっていました。
屋敷の前の空き地は広い駐車場になり、マイカーや大型バスが駐車していました。そして、柳川家の前には巡回ワンマンバス路線の滞留所ができていたのです。
井狩が「100億円事件の柳川家前」という停留所で降りようとすると、バスに乗り合わせた乗客のほとんどが降車扉に殺到しました。
やっとバスを降りた井狩は、柳川家の冠木門の前でギャルの群れに取り囲まれました。
なにしろテレビでの露出度が高くなれば、「猫も杓子も」人気者になるのですから。
もみくちゃにあれながら、どうにか通用門をくぐり、玄関に行き着いた井狩。彼を迎えたのは、串田老人(天本英世が演じる)です。
井狩が大奥様に用事だと告げると、
「大奥様の気まぐれがまた始まりましてなあ。今度は、信心だすわ……。あないなことになったのは、信心が足りんかったからや言うて、若いもんをこき使って、おんぼろ阿弥陀堂をつくり直しましてなあ・・・」と、串田は嘆息します。
廊下をいくつも曲がって刀自(おばあちゃん)の住まう離れにやって来た井狩は、刀自に挨拶しました。そこに、紀美がさっそく茶菓を給仕しに来ました。
刀自と差し向かいお茶を喫した井狩は、事件について考え続けてきたことがらを話し出しました。
「あの3人は、どこから拾ってこられたんですか?」
「井狩はんは、いつかこないに言うてきなはると思うておりましたんや。……会うたのは、あのときがはじめてだす」
「さらわれたときがですか?」
質問に続いて、井狩は独り言のように言い出します。
「だれも信じないだろうなあ。……でも、私は信じますよ」
「なにをだす?」
「誘拐団にさらわれたお年寄りが、誘拐団の首領になって、犯人どもを手足のようにこき使って、自分の子どもたちから莫大な身代金を巻き上げた、という途方もない話をですよ」
「もしかすると、そのお年寄りいうの、私のこと言うてはるんと違いますか?」
「犯罪事件には『体臭』というものがあって……。その点、この事件全体のスケール、計画性、顕著な自己顕示性、ただようユーモア性、こういう体臭はプロの犯罪者のもんではなし。ましてチンピラ風情のもんでもない。
もっと成熟した大人の、いわば獅子の風格と狐の抜け目なさ、そしてパンダのような親しみ安さをあわせもった人格で……。ある日気がついたら、それにぴったりの人物が事件全体の中心に座っているんですな」
と、井狩は事件に絡む人物や出来事の起きた場所、土地勘など、要するに刀自自身が中心にいて指図しなければ設定できない状況を並べ立てていきました。
「いや、いまさらそれらの人物をどうのこうのということではないんです。かくいう私も、そんな『お仲間』のうちの1人なんですから」