「日本は資本主義社会や。そやから、俺たち刑務所を出所した前科もんが社会復帰するには、元手が必要や」
と言って、資金稼ぎの手段を言い出したのは、先に出所していたリーダーの戸波健次。
彼は、仲間の若者2人を迎え入れた車のなかで、2人に説明を始めました。
2人はたったいま、刑期を終えて出所したところです。
だが2人は、その計画を聞くと、あからさまな拒否反応を示しました。
「誘拐!? 可愛い子さらって金を脅し取る。あれ、人間のするこっちゃないわ。にいさん、わて、降ろさしてもらうわ」
と非難がましい目つきで健次を見たのは、大男の秋葉正義。
車から降りようとドアを開けました。鈍重な大男ですが、ばか正直に服を着せたような人間。彼の罪状はこそ泥。飢えをしのぐためでした。
「うちも家族のために金が必要やったけど、降りるわ」と下を向いたのは、小柄な若者、三宅平太。気の小さいチンピラに見えます。
「82歳のかわいいおばあちゃんでもか? 4万ヘクタールの山林をもつ紀州一の大金持ちのおばあちゃんや」
2人とも健次を見つめ直します。
「大阪の町がぽっこり収まってお釣りが来るくらいの大きさや」「身代金は5千万……」
正義も平太も急にやる気になったようだ。
それからまもなく、激しい雨のなか、3人は紀州の山中に分け入りました。おばあちゃんを誘拐する機会をうかがうために、谷を挟んで柳川家と向かい合う山の斜面に陣取ったのです。
8月16日、旧盆もまもなく終わろうとする夕刻近くでした。
3人は大阪刑務所で出会いました。
戸波健次は孤児院育ちで、スリの現行犯で捕まりました。彼は刑務所で刑期を終えてからの自分の人生の再設計の手立てを考えたあげく、あの大富豪のおばあちゃんの誘拐を思いつき、綿密な計画を立てました。
最大の問題は仲間をだれにするかでした。
犯罪の常習者ではいけない。また、獲得した身代金をすぐに使い出すような、軽薄で警戒心の足りないヤツはダメ。要するに、律儀で正直な者。そして、誘拐事件の後、絶対に犯罪に手を出さない人間。
そうでないと、警察や司直の追及を受けて、いずれ誘拐事件のことがバレてしまうおそれがある。生真面目で正直で、自分を律することができる人物を集めようというわけです。
刑務所という犯罪者の集団のなかではきわめてむずかしい課題です。ところが、そんな人間が現れたのです。
秋葉正義です。
父親の事業が失敗して多額の借金を負った彼の家族は、小学生のときに散り散りになりました。
その後、彼はたった1人、社会の底辺を這いずり回り、日雇い労務者などをしながら糊口をしのいできました。バカ正直な生き方で、人をだましたり裏切ったりしたことはありません。
ところが、仕事にあぶれた日が続き、飢えをしのぐため空き巣狙いのコソ泥をしようとして逮捕されてしまったのです。
健次は、この男ならと目をつけて近づき、人間としてのまっとうさを確信し、シャバに出たら仲間を組んで一仕事しようと約束を取り交わしました。
三宅平太は尻の軽いおっちょこちょいですが、健次と正義とに通い合うそれとない気脈と強い信頼関係を察知して、2人に近づきました。はじめは損得勘定でした。だが、健次にはねつけられ、何度も真剣に頭を下げて仲間に入り込んだのです。
その努力のなかで、彼なりに腹をくくり、「オトナの挑戦」に取り組む覚悟が生まれたようです。
この3人組はやがて誘拐事件が世間に公表されるとともに、「虹の童子」という「暗号名」で呼ばれることになります。
ボスの健次が「雷」、正義が「風」、平太が「雨」という暗号名なのです。虹の童子という暗号名は、やがて彼らが誘拐することになる、大富豪のおばあちゃんがつけてくれるはずです。