この作品のキャスティングには、そうそうたるメンバーが名を連ねています。
北林谷栄、緒方拳、樹木希林……。
そのなかで、私が一番気に入っているのが、天本英世です。
北林谷栄さんも天本さんも、今はもう亡き人たちですが。
天本さんは、柳川家の大番頭、執事長ともいうべき串田孫兵衛の役柄を個性たっぷり、存在感たっぷりに演じています。
何度もこの作品を観てみていますが、今となっては、この役を演じる俳優は、当時としては、天本英世さん以外にありえなかった、ごく自然な、当然の配役だった、とすっかり思い込んでいます。
私が東京に住んでいる頃、美術館での絵画展でたまたま彼を見かけたことが2度ほどあります。
長身痩躯に独特の帽子、ジーンズのスーツ、ウェスタンブーツという出で立ちで、大変格好のいい爺さんでした。
絵画を見て回る姿は、映画のなかの雰囲気、存在感そのままという感じで、親しみやすさと孤高という相対立する2つを同時にかねそなえた、独特の存在感でした。
質素で飾らない姿勢で、なにやらどこか飛び抜けたインテリの風貌。
その日の美術館は人が多くなかったせいか、天本さんは、絵画を展示順にではなく、自分の気の赴くところ自由自在に、あっちからこっち、そしてまた向こう、というふうに見て回っていましたた。
順路なんかはまったく眼中になく、まさに、自由奔放、独立自尊、わが道を行く、という感じでした。
もっとも、美術館ではそれが本来の姿なのかもしれません。
それにしても天本さんの回り方は、非常にユニークでした。
つまりは、作品群について彼には彼なりの独特の見方、イメイジがあって、その方針というか自分の尺度に合わせて、好きなように見て回っていたようです。
いい意味で「傍若無人」「唯我独尊」の境地に生きているんだ、と思ったものです。
芸術家というのはこういうものか、という感じでした。
私は、一応、展示者=企画者の意図というかイメイジに沿って、順路どおりに、絵画を眺めて進んでいました。
順路どおりに進む私が、ときおり、たまたま彼が見ている絵画を同時に見る場面が何度かありました。
あるいは、私が見入っている作品のところに彼がやって来て、同じ作品を見ることになったりもしました。
そのとき、だいたい天本さんは自分と対話しているようでした。
独り言だが、それを対話するように、解説するように話しているのです。
私は、その話を傍らで注意深く聞いていました。すばらしい知識や感性をもったインテリだ、と感心しました。
たとえば、こんな感じです。
「名前がヴィクトールか。うーん、スペイン系だな。フランス生粋なら、ヴィクトワールとなるだろうからな・・・。いや、南西フランスか。すると、描き方は・・・」
独り言の内容は、絵画の歴史やスペイン、フランスの歴史、人物などについてでした。
絵画展のテーマは、16世紀から19世紀までのヨーロッパ絵画史です。これに関連して、天本さんなりの描画方法論の歴史について、分析を加えているようでした。
豊富な知識が口に登ります。が、どちらかというと、論理や理論というよりも、彼自身の感性、思いつきに沿って言葉が口をついて出てくるという風でした。
それだけに、なかなか造詣が深く知識の深さ、広さが感じ取れるものでした。
独特の風貌や行動スタイルと相まって、そのとき私は、まさに彼は尊敬おくあたわざる人物だ、と強い印象をもちました。
この映画での、あの話し方、間のおき方、トーン、天本さんの感性に従って自然に出た演技なのでしょうが、その背後には、彼の人生の経験や知識、細かい計算、洞察が絡み合ってはたらいているようです。
つまり、高い格式と長い伝統がある柳川家のに仕え、しかもあの刀自から全幅の信頼を得ている大番頭。そして、飄々、超然としながら、多数の家族や親戚、従業員たちをいつのまにか統率している、抜け目のない爺さん。
そんな役をみごとに演じきっている。
あらためて賞賛を送ります。
追伸 2015年5月 加筆編集
天本さん、北林谷江さんだけでなく、緒方拳さんも今は鬼籍に入ってしまいました。
個性的で演技術にすぐれた名優たちが去っていきました。それが時の流れだとは思いますが、さびしい限りです。
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