さて、物語の主人公マリア・アルトマンは現在ロスアンジェルスに住んでいる70代の寡婦で、洋服専門店を営んでいる。
1998年3月のある日、姉ルイーゼの葬儀に参列した。そこで彼女は、知り合いのユダヤ系シェーンベルク家――英音でシェーンバーグまたはショーンバーグ――の初老の女性と再会した。
シェーンベルク家はオーストリアの有名な作曲家アールノルト・シェーンベルクの子孫で、アメリカの法曹界でしかるべき地位を築いていた。マリアの知り合いの女性は、作曲家シェーンベルクの娘だった。
マリアはその女性に姉の遺品のなかにあった書簡の件を話した。するとその女性は、「弁護士をしている息子にあなたの相談に乗るように連絡しておくわ」と約束した。
書簡の件とは、姉の家で遺品を整理していたときに、発見した書簡類の束のなかにあった、1948年4月の日付手紙に記されていた案件だった。
手紙の差出人は姉の弁護士で、姉ルイーゼがナチスによって一族から奪われた有名な絵画を取り戻すため、オーストリア政府との交渉を依頼した相手だった。一連の手紙には、姉がそれから10年間にわたって、絵画を取り戻そうと奮闘した――がうまくいかなかった――経過に関するやり取りが書かれていた。
『黄金をまとう女性 / アデーレの肖像』
ニュウヨーク、ノイエ・ガレーリー美術館所蔵
その名画とは、1907年にグスターフ・クリムトによって描かれた姉妹の叔母アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像画で「黄金をまとった女性」――
Portrait of Adele Bloch-Bauer or The Lady in Gold, or The Woman in Gold ――
と呼ばれているものだ。
この絵画は第2次世界戦争後、オーストリア連邦の国有資産として、国立ベルヴデーレ美術館の保有・管理となった。
ルイーゼは、その肖像画の正当な所有権は自分にあることを出張して、オーストリア政府に返還を求め続けたのだが、請求はいつも門前払いされていたのだ。
アールノルト・シェーンベルク(1874-1951)は、西洋古典音楽で確立された8音階――全・全・半・全・全・全・半――の調性を超克・離脱して、半音ずつ上昇または下降する12音階からなる作曲技法を提起した作曲家。
クラシック音楽の門外漢の私から見ると、彼の試みはこう見える。
中世後期からルネサンス、バロックを経て発展し、ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンをつうじてほぼ確立された《調性を基本とするクラシック音楽の作曲方法=設計書法》。だが、ブラームスは、ベートーヴェンによってほぼ完成された体系性・構築性の約束事のなかで、音楽の独創的な構築方法について行き詰まり、苦悩することになったように見える。
ブラームスは、それまで西欧的な古典音楽技法に包摂されていなかった東欧スラヴ的な音楽構成に着目しながら、従来の作曲方法を再検討して新たな作曲方法を試みるようになったのではなかろうか。
それに対してシェーンベルクは音階の旧来の構造と調性をひとたび解体して、古典音楽を再構築する方法を試みたように見える。脱構築性の試みというべきか。
というのも、哲学方法論でも19世紀末から20世紀半ばにかけて、それまでのヨーロッパ的な認識方法論の解体と再構築(脱構築)が試みられているからだ。