マリアはランディに対して「同じオーストリア出身のユダヤ系市民として、過去の歴史に向き合うべきだ」と説得した。つまり、迫害を受けてオーストリアからアメリカに亡命・移住したという共通の背景や経験をもつ者として、ナチスのユダヤ人迫害から目を逸らすな、という論理だ。
仕方なく、空いた時間にランディはマリアから預かった資料を読んだり参考文献、法規集に当たってみた。やはり、すこぶる面倒な問題だ。
ちなみに、クリムトの「アデーレの肖像画」はいったいどれほどの価値があるのか。そんな興味からネットで調べてみた。すると、パソコン画面に表示された金額は「最低限でも1億ドル以上」だった。
すると勝訴した場合の成功報酬は、総額の10%でも1000万ドルになる。20%なら……という想像を掻き立てる天文学的な数字だ。専門の弁護士でも手を焼く案件だが、どういう問題状況なのかを概略調査する価値はありそうだ。手が出せないと判断すれば、撤退すればいい。
要するに、目がくらむような絵画の価値に惹きつけられたのだ。
ランディはそういう安易な考えで、下調べをしてみようと考えた。そこで、所長に打診してみた。 「ウィーンに1週間ほど調査に行かせてください。成功する可能性があれば、この事務所にとっても巨額の報酬を手にするチャンスです」とか何とか言って、ヴィーンへの出張調査の許可を得た。。
というわけで、マリアをともなってヴィーンに出張調査に出かけるという計画を立てた。
ヴィーン訪問の日程は、3月31日から4月4日までの1週間――――とした。というのは、ヴィーンでは4月3日に美術品返還をめぐる審問会が開始され、返還請求を申し立てた人びとの意見陳述が予定されているからだ。
ブロッホ=バウアー家は、ヴィーンでも指折りの名門ユダヤ人家系だった。そういう名門の家柄出身のマリアが、意見陳述の場でナチスに奪われた名画を取り戻したいと表明すれば、メディアも関心を寄せ、世界中の注目を浴びる。そうなると、オーストリア政府も安易に拒絶はしないだろう、という読みからだ。
■だが、あまりに重苦しい過去■
翌日、ランディはマリアのブティックを訪ね、週末にヴィーン行きの航空便に乗る予定を告げた。ところが、マリアはヴィーン行きを拒否した。
「なるほど、返還交渉での立場を有利にするためにはそういう戦術も必要であることは認めます。でも、私はヴィーンに決して行きません。
私はオーストリアという祖国を捨てたのです。あの国によって迫害され、追われたのです。あの国が両親を殺したのです。苦痛と屈辱の過去です。ヴィーンに戻るくらいなら、絵を取り戻すのはやめます」
ユダヤ人としてのマリアは、生き延びるために夫とともにオーストリアから亡命した。
オーストリアがナチス・ドイツ帝国に併合され、社会全体にユダヤ人迫害が系統化・組織化されたからだ。一般民衆の多くがナチスの反ユダヤ主義に呼応してユダヤ人排斥に手を貸したのだ。彼の地を訪れてそういう重苦しい事実を向き合うのは、耐えがたいほどに苦痛だった。