この案件を裁定した地裁の女性裁判官は、マリア側の返還請求を認める判決を打ち出した。
絵画取得の経過についてナチスによる没収・略奪という著しい違法行為が認められること、美術品返をめぐる還審問制度があるにもかかわらず、オーストリア国内での訴訟にさいして法外な供託金の支払いを求めるのは、被害者の権利の回復という審問制度の本来の目的を台無しにする制度であること、などが裁定の根拠とされた。
意想外の判決にオーストリア側は仰天落胆した。だが、自らの側の違法性を受け入れずに、連邦地裁の判決を不服として控訴した。連邦高裁での控訴審でもオーストリア政府側は敗北し、上訴したが結局、連邦最高裁でも敗訴となった。
とはいえ、最高裁判決まで4年ほどかかったから、高齢のマリアが死去していれば、この勝訴はなかった。というのも、バウアー=ブロッホ家の末裔のなかで、マリアが最後の生き残りだったからだ。権利を請求する主体がこの世にいなければ、訴えの本人がいなくなるわけで、訴訟自体が成り立たないからだ。
だから、マリアは健康に配慮して長生きする努力をしたらしい。
一方、オーストリア政府側(美術館)の法務担当者は敗訴確定後、マリアに、前に彼女が提案した譲歩案での和解交渉への復帰を求めたが、今度は彼女が拒絶した。
「私が譲歩案を出したときにあなた方は見向きもしなかったでしょう。だから、決定的な対立にいたらないように、提案したんです。
でも、もう判決は出てしまいました。今更譲歩案の検討の余地はありません」と。
マリアが取り戻した絵画は、現在、ニュウヨークのノイエ・ガレーリー美術館で公開され、誰でも観覧することができるという。マリアが叔母の肖像を観覧する機会を一般市民に開放したいと望んだからだ。今では、この肖像画に出会うために、オーストリア人を含む多くの人びとが国外からニュウヨークを訪れている。
この映像物語では、理不尽な経過のなかで失われた――絵画の所有権の回復という形で――尊厳の回復しようとするユダヤ系市民の切なる願望がかなうことになった。
私としては、現在のイスラエル国家によるパレスティナ住民への抑圧や蹂躙という悲劇についても、彼らの権利と尊厳の回復をめざす物語が、世界的に訴求力のある映画として制作されることを望むんでいる。