黄金のアデーレ 目次
尊厳の回復としての…
「ユダヤ人」とは何か
クリムト名画の数奇な運命
忌まわしい過去との対面
マリアとランディ
名画の価値に惹かれて
汚辱のオーストリア史
歴史への視点
マリアの決断
オーストリアで
H・チェルニン
重すぎる扉
危機一髪の亡命劇
国民国家という障壁
「国家主権」の風穴
訴   訟
裁判の結果
法イデオロギーと現実
国境を貫通するメカニズム
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美術をめぐるスリラー
迷宮のレンブラント
盗まれた絵画の行方

国民国家という障壁

  さて、オーストリア政府のあまりに頑なな態度にランディはひどい衝撃を受けてしまった。そのため息苦しさが昂じてしまい、マリアから離れてトイレに入って吐き気を抑えなければならないほどだった。
  半ばは屈辱感だったが、半分はユダヤ人として重い過去の歴史と向き合うことの難しさだった。
  このときランディはマリアの孤独な戦いの意義を噛みしめた。
  はじめは肖像画の価値――その成功報酬の大きさ――に惹かれて返還交渉に取り組もうとしたのだったが、オーストリア政府の頑なな姿勢に直面して、重い歴史の扉を開く課題の意義にあらためて目覚めたのだ。
  オーストリア政府はナチス支配期のこの国の汚辱の歴史について自己批判し責任を引き受けるかのような態度を公式には表明しているにもかかわらず、本音のところでは、その時代のあれこれの具体的な問題を――とりわけ外国人によってユダヤ人迫害問題を――掘り起こされ、議論され、詮索されることを受け入れたくないのだ。
  ごく抽象的・一般的には責任を認めながらも、個別具体的に吟味されることには、今でも強い拒否反応を示すということだ。ランディはユダヤ系アメリカ人として、オーストリア政府が示した態度にひどい屈辱感を感じたのだ。マリアが抱いてきた屈辱感、歴史と向き合うことの苦悩の重みをはじめて自分の問題として感じることになったのだ。
  そういう思いを抱いてランディとマリアはアメリカに帰国することになったわけだ。


  さて、ロスアンジェルスに戻ると、マリアはやるだけのことはやった、あまりに重苦しい過去への想いは封印して日常生活を回復しようと決めた。
  一方、ランディはオーストリアから亡命した祖父(作曲家シェーンベルク)以来のユダヤ系市民として、マリア姉妹や祖父らが生き延びるために亡命せざるを得なかったナチス支配期のオーストリアの歴史に対峙するため、何とか絵画返還事件に取り組み続けようと決意していた。

  とはいえ、オーストリア政府機関である美術館所蔵の美術品については、オーストリア国家の司法管轄権にもとのあるわけだから、外国人のアメリカ人であるマリアとしては、そもそも返還を要求する権利を持ちえないということになる。
  オーストリア連邦の美術作品返還法は――「ナチス時代の蛮行」の汚名を国際関係のなかで返上するため――、法文上、オーストリアが例外的に自己完結的=閉鎖的な国家主権の障壁バリアを部分解除して、ナチス支配期の違法にユダヤ人の手許から持ち去った美術品を返還する余地を与えた。だが、それは対外的に閉鎖的に法空間を組織化する国家が、あくまで例外的に認めた恩典にすぎず、オーストリア政府による入手の違法性を証拠立て、証明することはきわめて難しい課題だった。
  《国家主権の自己完結性》こそ、国家という強制の鎧を外皮として組織された近代市民社会、国民国家という形態で武装された市民社会の法体系の中核概念なのだ。国民ネイションという存在は、国家によって自己完結的=排他的に組織化された住民集合であり、外部に対してはじつに閉鎖的な社会システムなのだ。したがって、外国人(ユダヤ人)による美術品返還請求に対しては、ことさらに強硬なバリアで撥ね返そうとする力が作用することになるのだ。

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