黄金のアデーレ 目次
尊厳の回復としての…
「ユダヤ人」とは何か
クリムト名画の数奇な運命
忌まわしい過去との対面
マリアとランディ
名画の価値に惹かれて
汚辱のオーストリア史
歴史への視点
マリアの決断
オーストリアで
H・チェルニン
重すぎる扉
危機一髪の亡命劇
国民国家という障壁
「国家主権」の風穴
訴   訟
裁判の結果
法イデオロギーと現実
国境を貫通するメカニズム
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美術をめぐるスリラー
迷宮のレンブラント
盗まれた絵画の行方

オーストリアで

  そのくらいに見た目では溌溂として出発したマリアだったが、航空機がオーストリア上空に差しかかると、顔が緊張で青ざめたようだ。「あの国が、あの街が私たちの家族を迫害し、殺し、あるいは国外への逃亡を強いたのだ……」と。
  ヴィーンに到着すると、2人はホテルで翌日の行動計画について話し合った。翌日にはオーストリア文化相の美術品返還審問の担当官と面談する予定だった。
  ランディは「自分一人で面談してくるので、あなたはウィーン観光でもしてください」と助言した。するとマリアは「私をカヤの外に置かないで。これは私の問題なのよ」と反論した。
  ランディがマリアを面談の席から外そうとしたのは、オーストリア官僚の態度や言い分の予想がついたからだ。さらに、マリアが感情に任せて交渉に不利になるような発言をするかもしれないと危惧したからだ。

  オーストリア政府の本音が「超国宝級の名画」をアメリカ国籍の人物に返還したくないことは明白だったうえに、ましてナチス支配時代の違法行為の責任まで認めることも拒むことは確実だったからだ。それではマリアが落ち込むだけだ。
  だがこのとき、ランディはマリアの弁護士としていわば第三者的な、客観的な立場で事態を見ていた。


  案の定、翌日の担当官は、面談に慇懃無礼を絵にかいたような態度で臨んだ。「アデーレの肖像画」の返還をめぐる審査資料の閲覧を許可しなかったうえに、より上級の――審判に携わるような――担当官との面談の要請を言葉巧みに退けた。そして、「週末のヴィーン観光を楽しんでください」という言葉を残して席を立ってしまった。
  面談でランディは予想通りというか、予想以上に難しい案件だと思い知らされた。オーストリア政府の防御はきわめて固かったという感触をマリアに伝えた。
  だが、恐ろしい迫害を経験したマリアは泰然としていて、「それでも、担当官があってくれただけでもよしとしましょう」と答えた。彼女はユダヤ人が人としてあつかわれなかった時代を体験しているのだ。

  2人は語り合いながら、ヴィーン中心部の目抜き通りブールヴァールを歩いた。そのときマリアは、4階建ての豪華な建物を指さして、「あそこが私たちの住居だったのよ」と教えた。
  そして、富裕な企業家の家族としての栄光の日々と一転して迫害に怯えた日々を思い出した。 この後でも、折にふれてマリアは1930年代後半までの一族の栄光の時代と38年3月にナチスの権力が確立してからの重苦しい時代、反ユダヤ主義が吹き荒れる状況への転換が回想されることになる。
  そのときマリアが回想したのは、ひときわ独立心が強かった叔母アデーレの物腰だった。それは1920年代のことで、アデーレは肖像画のためにエメラルドやサファイアをあしらった黄金の首輪を身に着けていた。ところが、その首輪はやがてナチスに奪われ、ヘルマン・ゲーリングの妻のものとなるはずだった。

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