黄金のアデーレ 目次
尊厳の回復としての…
「ユダヤ人」とは何か
クリムト名画の数奇な運命
忌まわしい過去との対面
マリアとランディ
名画の価値に惹かれて
汚辱のオーストリア史
歴史への視点
マリアの決断
オーストリアで
H・チェルニン
重すぎる扉
危機一髪の亡命劇
国民国家という障壁
「国家主権」の風穴
訴   訟
裁判の結果
法イデオロギーと現実
国境を貫通するメカニズム
おススメのサイト
美術をめぐるスリラー
迷宮のレンブラント
盗まれた絵画の行方

忌まわしい過去との対面

  マリアの姉ルイーゼも戦争直前に国外に亡命、やがてアメリカに移住して生き残った。アデーレの夫フェルディナンドもブリテンに亡命した。だが、姉妹の両親のブロッホ夫妻と親族は亡命がかなわず、ドイツ帝国に併合後のオーストリアに残ったため、ナチス政権によって強制収容所に送られて殺されてしまった。
  結局のところ、アデーレ・ブロッホ=バウアーの親族一門は姉妹を除いて全員死去してしまったことから、「美術作品返還法」の施行後に肖像画についての所有権を訴えることができるのは、マリアとルイーゼの姉妹だけとなっていた。

  姉は、叔母の肖像画がナチスのユダヤ人迫害によって不当に没収されたものだと主張して、オーストリア政府と美術館に対して返還要求をしたが、請求書類は体よく門前払いされ続けたようだ。請求棄却の理由は、1925年に死去したアデーレの遺言状には、肖像画をオーストリアの国立美術館に寄贈するという意思が表明されていたから、ベレヴデーレ美術館への肖像画の所有権の移転は法的に正当なもので、ナチスによる強奪によるものではないからというものだった。
  ルイーゼは弁護士をつうじて「しからば、アデーレが意思を記した遺言状を閲覧したい」と申し入れたが、あっけなく拒否された。
  マリアが姉の遺品のなかに見つけた一連の書簡には、あらましそういう交渉経過が書かれていたのだ。

  マリアはその手紙を読んで、1938年にオーストリアとナチス・ドイツとが国家統合してからのヴィーンでの重苦しい生活を思い出した。この作品では、マリアがことあるごとに、第2次世界戦争直前、マリアとフリ-ドリッヒがヴィーンから脱出・亡命するまでのオーストリアでの経緯を回想する。その回想によって、ヴィーンのユダヤ人たちがナチスによってどのように迫害蹂躙されていったか、なにゆえにマリアたちが祖国を捨てたのかが生々しく描かれる。
  その意味ではこの作品は、マリアが忘れようとしてきたナチス支配期のヴィーンでの忌まわしい過去に向き合い、奪われた尊厳を回復していく姿が描かれた映像物語となっている。

  国家統合条約の文言では、オーストリアとドイツは対等なパートナーとして統合する形になっていたものの、事実上はナチスの軍事独裁政権へのオーストリアの全面的な従属(併呑)だった。
  それゆえ国家統合後、ナチスの横暴、とりわけユダヤ人迫害が吹き荒れることになった。ヴィーンでは日ごとに、ユダヤ人への抑圧が強まっていった。


「黄金をまとった女性」の来歴
オーストリアのヴィーン銀行連盟の重役の娘、アデーレ・バウアーは1899年にフェルディナンド・ブロッホと結婚した。女系の血筋によってユダヤ教徒として世代を継続していくことから、ドイツ語圏の富裕な家門のあいだでは、婚姻の後には、家門の姓を男系と女系を結合したものに変える場合が多い。
  疑似閨閥的な家門統合によって、家門の資産や権力を保持し続けるための財閥――というか閥族――を形成するためなのかもしれない。
  そういうわけで、バウアー家はブロッホ家との婚姻によって、バウアー=ブロッホ家となった。

  アデーレの家族は芸術を愛していたため、画家のグスターフ・クリムトと親交があった。ブロッホ家はほかに、グスターフ・マーラー、ヨハネス・ブラームス、リヒャルト・シュトラウスなどの音楽家や社会党の政治理論家カール・レンナーなどと親交を結んでいたという。
  そして、アデーレの夫で、チェコで大製糖会社を経営していたフェルディナンドもまたクリムトの画法を好んでいたことから、クリムトに妻の肖像画を何度も描かせている。その1作がここで問題となる肖像画で、1907年に制作されたものだ。

  そういう事情から、「アデーレの肖像画」は夫から妻に送られたものだが、2人が夫婦である限り、また夫フェルディナンドが生きている限り、法的には肖像画は夫婦の共同所有または夫の所有物だった。
  ところが、アデーレは1925年に死去した。そのときに残されていた彼女の遺言には、「私の死後にはヴィーンの国立ギャラリーでの展示を希望します」と記されていた。そこには、所有権の移譲を意味する文言はないが、オーストリア伊政府はそこに贈与の意思を読み込んだのだ。。
  そういう事情で、ナチス独裁からオーストリアが解放され、連邦共和国の民主的なレジームが成立してからも、肖像画はその所有者であるアデーレの意思にしたがってヴィーンの国立美術館に寄贈されたものだとして、絵画所有権の返還が拒否されていたのだ。

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