だが、ランディはこの一点に賭けて起死回生の挑戦を試みようと考えた。
それで、彼が勤務する法律事務所にこの訴訟を引き受けるように求めたが、リスクが大きすぎるという理由で拒否された。仕方なく、ランディは法律事務所を辞めて単独でこの訴訟に挑む道を選んだ。
ところが、大手法律事務所を辞めたことを聞いた妻は大きな衝撃を受けた。というのも、彼女はまもなく2人目の子供を出産する予定で、これまで以上に生活費がかかるようになることは確実で、そんなときにランディが高給の職を辞めたからだ。
嘆く妻に、ランディは富裕な父親から援助を受けるから大丈夫だと請け合った。彼の家門はかなり裕福なのだ。
しかし、問題はマリアだった。 マリアはランディの提案を強く拒否した。 「やるだけの努力はやりました。それで、ようやく諦めて、過去を忘れ去ろうと努力しているのよ。 それなのに、おぞましい過去とふたたび向き合うなんて、もうこれ以上無理です!
まだ闘い続けようとするあなたは、もう私の弁護士ではありません。解任します!」
それでも、ランディは執拗に食い下がって説得を試みた。
「私は法律事務所を辞めて背水の陣で臨もうと苦闘しているのに、あんまりだ。
今私自身が過去の歴史と向き合う必要性に目覚めたんです!」
ランディの覚悟を知ったマリアはランディの提案を受け入れた。
「 わかりました。あなたのやりたいようにやってみなさい」と。
ランディは連邦地区裁判所に「アデーレの肖像画」を含む絵画の返還請求を求める申し立てをおこなった。本来、オーストリアの主権と国内法のもとで判定すべき請求をアメリカ合衆国でおこなう主な理由について準備書面でこう説明した。
現在アメリカで販売されている書籍に掲載された絵画が過去――ナチス支配期――にオーストリアで違法に没収された資産であること。商取引にかかる財物の取得経過に違法性があるということだ。
その返還請求訴訟をオーストリアで起こす場合にきわめて巨額の供託金が必要で、その不合理な条件のためにオーストリア国内法での訴訟が不可能であること。
外国主権免責法の例外的な適用除外については、過去にしかるべき判例があること。
これに対して、オーストリア政府と美術館側の弁護士は、事案にはオーストリアの国家主権がおよぶものであり、外国主権免責法の適用を受けるべきものであるがゆえに、提訴の棄却を求めるという内容の弁論書を提出した。
さらにアメリカ国務省にはたらきかけて、提訴が受理されれば、両国の友好的な外交関係を大きく棄損するおそれがあるので、国務省としては棄却を求めるという意見書を用意させた。
オーストリア側の法律家たちは、オーストリア政府機関としての美術館所蔵の絵画をめぐる問題であから、オーストリアの主権が全面的におよぶ事案であって、しかも合衆国の外国主権免責法があるから、マリア側の提訴は門前払いされて当然だと高をくくっていた。
そのため、マリアが――訴訟による全面的な対決を避けて示談調停に応じて――審問会裁定後に提示した譲歩案を再検討してもらえないかと提案しても、突っぱねた。