さて、コヒーリンは、以前IRA派が開拓した密入国・密出国ルートを利用してアイアランドからの脱出をはかった。それは、ブリテン連合王国領北アイアランドと南部のアイアランド共和国との国境線に沿って、ブリテン軍による厳しい監視警戒網をすり抜けて、反対側に潜り込むための経路だった。
国境線には、特殊部隊が警戒線を組織していた。哨戒ヘリコプターが数分おきに発着を繰り返し、空からの監視と攻撃態勢を整えていた。集団的に組織化された武装集団が武器を携行して国境を突破するのは、まず不可能だ。とはいえ、ごくたまに1人、2人の者が獣道のようなところを抜ける経路は残されていた。
コヒーリンは、辺境の村のディーガンのバーに行き、店主に1000ポンドで密出国の段取りを申し込んだ。ディーガンは、沢と森を抜けるルートに案内した。国境の向こうで「お客」を港まで運ぶ運転手と道案内(計2人)が迎える、という手筈を整えた。
ところが、国境で待ち構えていたのは、IRAのガラハーとその護衛のデビーだった。彼らは、コヒーリンがこのルートで逃亡するだろうと見込んで、わなを仕掛けていたのだ。だが、危険を察知したコヒーリンに先手を打たれて、2人とも射殺されてしまった。ディーガンも殺された。
翌日、3人の死体が発見された。ファーガスンは、コヒーリンが北アイアランド経由で海路、ロンドンに向かったものと判断した。准将は、リーアムをロンドンに呼び寄せ、フォックスの監視下で、コヒーリンの足跡の捜索、追跡を依頼した。だが、リーアムを疑うフォックスは、追跡の足手まといになった。
そこで、リーアムは、運転する車を繁華街の道路で停車し、助手席にフォックスを置いたまま、イグニションキイを持って姿をくらました。
数時間後、リーアムはファーガスンに電話を入れた。フォックスが邪魔なので、1人で捜索を進める、と。
その頃、教皇と使節団を乗せたアリタリア航空の旅客機がヒースロー空港に降り立っていた。ブリテンの枢機卿や大司教たちが出迎えた。首都での歓迎行事が終わったのち、教皇一行はランカシャー州のマンチェスターのストークリー伯城館を訪れる計画になっていた。その途中で、大司教――古いヨーロッパの身分伝統では、大司教は上級伯爵ないし侯爵の位を認められ、王族に次ぐ地位を与えられている――の居城に寄って、ストークリー伯という殉教聖人を称揚する行事の準備をするはずだった。
コヒーリンの狙いは教皇暗殺だとすれば、狙撃場所を選ぶためにコヒーリンは、ストークリー城館に関する情報――とりわけ建物の設計図や周囲の地理空間環境――を調べるはずだ。とすれば、ストークリー邸に関する文献を保有するローマカトリックの宗教施設、なかんずく文書館を持つ修道院に立ち寄るはずだ。リーアムはロンドンの大修道院を訪れた。
そこには、数日前にトーマス・ケリー神父が訪れて、宗教紛争期にストークリー伯が殉教した時代の文献を研究していた。調べてみると、アングリカン教会勢力による迫害を逃れるために、城館の庭園に礼拝堂に通じる秘密の地下道を建設していたことがわかった。トーマスが城館自体の設計図とともにその図面の写しを手に入れたことも。
ストークリー邸に行かねばならない。
リーアムは、ファーガスンをつうじてターニャに連絡をつけた。それは、安全保障局の保護を抜け出して、リーアムと合流することを意味していた。ターニャは、護衛たちの目を盗んで、ホテルから抜け出してリーアムと落ち合った。そして、向かう先は、マンチェスターだ。