3つの物語「ユニバーサルソルジャー」「ソルジャー」「サイバーソルジャー」
今回は、軍組織によって生身の肉体ないしは人格を改造され、あるいはアンドロイドとして製造されて、人工的な兵士(戦闘マシン)に仕立て上げられた者たちの物語を取り上げる。数多くの作品のなかから「ユニバーサルソルジャー」「ソルジャー」「サイバーソルジャー ソロ」の3つを選んだ。単なるアクション映画と言えばそれまでだが、物語の背景とか軍という組織への評価を考えると、それなりに考えさせられる。。
@「ユニバーサルソルジャー(1992年)」の原題は Universal Solidier (万能兵士)、A「ソルジャー(1997年)」の原題は Soldier (兵士)、B「サイバーソルジャー(1996年)」の原題は Solo (ソロとはアンドロイドの名前)。
見どころ:
3つの作品ともに、バイオテクノロジーや人体改造プログラム、さらにはロボット工学によって生み出された兵士たちの「心」の問題、そして彼らの「心」と軍組織との葛藤・緊張を扱った物語だ。
その「心」とは、プログラムとか経験をつうじて蓄積された記憶や意識、感情、そのほかの精神的活動の総体だ。その基層には、生物としての心(個体の生存欲求)、人間としての心(記憶)などがあるかもしれない。
これらの物語に登場する「兵士たち」は、それぞれにあるできごとを契機にして、軍によってプログラムされた行動様式を乗り越えて、パースナルな「心」を獲得ないし回復する。それによって、軍が指示命令した戦いとは別の、個としての存在を賭けた戦いに挑んでいく。
3つの物語は、軍組織の特殊な目的のために創出されたサイバー兵士たちが「心」あるいは自分らしさを回復し始める物語だ。それはまた、〈戦争のための組織〉の論理に反抗して人間=個として自立していく過程でもある。
単なるサイバーアクション映画だが、物語には意想外に――知性や心、人格性をめぐる――深く重い問題が伏在している。
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