映像物語の冒頭の場面は、2003年3月20日頃だろうか。
バグダード市街、ことにフセイン政権幹部や軍要人などが暮らす高級住宅街を中心にミサイルや砲弾が降り注ぐ。硝煙と爆発音が渦巻いている。イラク戦争の口火が切られた日だ。
イラク軍の将軍アラウィが重要な機密書類やPC情報媒体を取り急いでまとめて、逃亡の準備をしている。まもなく、将軍は何人もの護衛要員や側近に取り巻かれながら、高級RV車で走り去った。
冒頭のシーンはこのように、イラクの首都が容易にアメリカ(連合)軍によって攻略、征圧される様子で始まる。
■WMD探索は今日も空振り■
場面はそれから数週間後のバグダード近郊の小都市に移る。
これまた戦火で荒廃している小都市、ディーワニーヤ。ここに、ロイ・ミラー上級准尉が率いる機動探索部隊METが、司令部から受けた大量破壊兵器WMD情報――この町に隠されているという情報――にしたがって、この街にやって来た。
イラク国土のほぼ全体をアメリカ軍がほぼ制圧したとはいっても、いたるところでイラク軍残党による散発的・ゲリラ的な戦闘が続発している。ディーワニーヤにはUS陸軍101部隊が先遣隊として送り込まれ掃討作戦を展開しているが、イラク軍の残留狙撃兵に悩まされていた。
ミラー率いるMETは、この街の古い工場倉庫に化学兵器が隠されているという情報を受けて、探索にやって来たのだ。作戦は敵兵の狙撃に邪魔されていた。
狙撃兵をやっつけてどうにか倉庫に張り込み、防護マスク――毒ガスやプルトニウムなどへの備え――を装着してMETメンバーは化学兵器の捜索を始めた。だが、WMDの存在は確認されず、かつて存在したという痕跡すら皆無だった。
工場倉庫は、10年以上も前に操業をやめた便器工場だった。
WMD捜索任務は今回もまた空振りだった。
これまでどおり、情報の出所は軍情報部で、国防総省の担当部局が内容の正確さ(確度)を確認したとされるものだった。
ミラーは情報の出所に強く胡散臭さを感じ始めながら、グリーンゾ−ン内の占領軍本部に帰還した。
■「自由の大会」のお膳立て■
数日後、グリーンゾーンからバグダード郊外のサダム・フセイン空港に向かう車の列があった。国防総省の現地代表のクラーク・パウンドストーンら占領軍政治指導部が帰国するはずの亡命イラク人の要人を迎えにいくのだ。
空港には、亡命イラク人諸派の1つの「代表」とされるスバイディが到着した。クラークは、この男をやがて成立する見込みの暫定政府の首脳に据えようとしていた。だが、反フセイン派やイラクの消息筋では、スバイディという人物の名を聞いたことがある者はほとんどいなかった。
アメリカは占領後のシナリオとして、スバイディというこの怪しげな人物を中心に据えて近くバグダードで「自由の大会( Freedom Meeting )」を開催しようと計画していた。ここにスンニ派、シーア派、クルド族という3つのグループの代表を集めて、バース党政権解体後の民主化移行のための暫定政権の政治的同盟を組織しようというのだ。
イラク国内には反フセイン、反バース党勢力はいくつもあったが、今回アメリカが突然企てた侵略戦争に呼応するイラク国内の受け皿勢力は形成されていなかった。つまり、アメリカ側の一方的な事情でいきなり戦争が始まったため、あっけなくフセイン政権が崩れ去ったあと、この政権に代わって国内統治を担う政治勢力はないのだ。
そのため、アメリカ側としては、あたかもイラク国内に民主主義を求める諸勢力が結集しているかに見える政治情勢を演出する必要に迫られたというわけだ。