私たち現代人は、戦争というのは国家と国家のあいだの暴力的敵対、殺戮・破壊活動であるというのが常識となっている。そして、たいていの場合、それぞれ単独の国家どうしの戦いではなく、諸国家の同盟どうしの闘争ということになるのだが。
だが、戦争がもっぱら国家の独占となったのは、18世紀末――フランス革命――以降19世紀をつうじてのことだ。人類の戦争の歴史から見れば、ごく最近のことにすぎない。
戦争がもっぱら国家によって独占される状況は、軍事力が国家によって独占された結果だ。独占というのは、国家が社会の軍事力=物理的暴力と武力を持つ人間集団に対して排他的な組織化能力、統制力をもつ状態を意味する。
国家の中央政府は、個々の都市や商人団体が握っていた武装と戦争の権力を奪い吸収して、戦争能力を独占したのだ。それはまた、国家内で軍の運営や戦争の活動をめぐる課税権力・財政権力を中央政府に集中させた結果でもあった。
その結果、戦争の規模と強度は、それまでとは決定的に異なるほどに、拡大した。
もちろん、このような変化の主要舞台はヨーロッパである。
とはいえ、ヨーロッパ諸国家は、16世紀からこのかた地球のあちこちを舞台として世界市場支配(勢力圏)をめぐって対抗してきたので、戦場は世界のあちこちだった。そして、19世紀半ば以降、ヨーロッパ諸国家による世界市場をめぐる勢力争いは全地球的規模に拡大した。
この分割ならびに再分割闘争は、経済的な権益を原因とするものだけでなく、政治的・軍事的な優位をめぐるものも多かった。
有力な国家は、戦場、最前線を自国の首都や大都市からできる限り遠い場所――周辺地域――に設定しようするようになった。ところが、諸列強による世界市場の地理的な分割がひととおり完了すると、今度は再分割闘争に突入した。
そうなると、諸国家は海外植民地や属領を排他的に組織化・統制しようとすることになるから、攻撃や破壊の目標はこの組織化=統制の中枢となり、主戦場はとうとうヨーロッパ自体(中核地域)に置かれざるをえなくなった。
そして、20世紀になると、第1次世界戦争を契機として「全体戦争」「総力戦」の観念が登場した。
敵対国家の軍事力を基礎づけている経済的再生産体系、つまりは国民社会の経済活動と人民の生活の総体ないしは中核的な部分を破壊することが戦争の目的となった。
それは、貿易や経済圏が排他的なブロックに分割され、植民地や属領を直接支配・収奪することによって利権や利益を獲得するという国家の行動様式が、資本蓄積にとって大きな意味を持っていた時代の戦争だった。
ところが、第2次世界戦争後、ヨーロッパや極東の有力諸国家がアメリカを盟主とする政治的・軍事的同盟に組織化され、諸国家の金融的連関が深まり、世界市場を構成する各地域・地方の結びつきが緊密化してくると、戦争の形態は構造転換した。
この時代は、ソ連東欧が「社会主義的レジーム」としてアメリカ中心の同盟に対抗する冷戦構造のもとでの戦争の時代でもあった。世界経済できわめて有力な地位を持つ諸国家はすべて、アメリカの政治的・軍事的同盟に加わるか、同盟に与する「中立」を標榜するしかなくなった。
そして、有力諸国家が核兵器を開発・保有したことによって、戦争の規模と様式は――人類の滅亡を望まない限り――限定されるほかなくなった。つまり局地戦争の時代になった。
ヨーロッパでの戦争は姿を消し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでの局地的戦争が断続するようになった。2つのレジーム陣営の間での経済的権益の確保をめぐる闘争だけでなく、政治的・軍事的影響力の確保のために、経済的再生産の条件を犠牲とする戦争も頻発した。
要するに、戦争には合理的な理由はないということかもしれない。だが、それぞれの国家は、戦争では巨額の財政(税金)を浪費するうえに、資源を動員し、兵員となる市民を多数、戦地に派遣するために「もっともらしい開戦理由」を準備しなければならない。
それにしても、冷戦時代以降では、単独の国家として戦争を発動し遂行することができる国家は、アメリカだけとなった。ブリテンやフランスがおこなった戦争――フォークランド戦争、アルジェリア戦争――は、国家財政上の制約もあって、きわめて限定された局地的「戦闘」であって、系統的で首尾一貫した戦争というほどの規模や強度、持続期間を持つことはなかった。