グリーンゾーン 目次
虚構の開戦理由
見どころ
あらすじ
イラク戦争とは何だったか
続出するミスリード情報
軍の作戦会議では「疑問」に蓋
占領政策をめぐる路線対立
アル・マンスールで
米軍幹部の策謀と路線闘争
クラークの画策
《マジェラン》とは何者?
深夜の闘争
闘争の果てに
ブッシュ政権の誤算
ミラーの告発
「現代の戦争」
近代戦争の歴史
戦争の目的と敵対国家レジーム
「近代戦争」概念の崩壊
「傭兵の戦争」の復活
おススメのサイト
異端の挑戦
炎のランナー
諜報機関の物語
ボーン・アイデンティティ
コンドル

■「傭兵の戦争」の復活■

  それにしても、アメリカ政府は、イラクの戦乱や暴力を抑え込むのためにはまったく不十分な戦力しか派遣しなかったから、イラクでの軍事的防衛・治安保全活動を「民間企業」に大っぴらに下請けさせる手法・システムを導入した。この戦闘下請け企業は、アメリカでは私的安全保障提供企業 the private security prividers と呼ばれる。

  民間企業とはいっても、軍事的活動や戦闘行為(を含む治安活動)を高額の料金で請け負うのだから、この民間企業は《私兵集団》であり《傭兵》というべきだろう。民間警備会社のような呼び名だが、軍事企業つまり傭兵業者だ。
  深刻な問題は、これらの会社の従業員たちは正規の軍人ではないから、国防総省と軍が課す法規、交戦規定を守る義務がないことだ。正規軍の規律は通用しないという。しかも、アメリカ国内では銃砲所持が禁じられているアルコール依存症やら精神的疾患やらを罹患している者たちも、こうしたセキュリティ企業に雇われればイラクでは武器を支給され、射撃・発砲する自由を手に入れられるのだ。

  そういう異常な人物たちによって数多くのイラク住民が死傷しているし、住宅や自動車、店舗などの損壊も被っている。何人かのアメリカ軍退役将官は「民間警備会社の動きがアメリカとイラク市民との信頼関係を破壊している」と告発しているほどだ。彼らの戦闘行為や武器使用には国家の正規軍としての統制はほとんどおよんでいないのが実情なのだ。
  ところが、そういうセキュリティ会社の「警備員」たちがイラクに滞在するアメリカ政府高官や企業人、輸送車列を護衛し、アメリカ軍組織さえ警護している。さらにイラクに派遣された日本の自衛隊部隊(駐留地や活動)をも防衛しているのだという。アメリカ政府高官も日本の自衛隊も荒くれガンマンによって守られているのだ。

  イラク戦争後――実質的には戦争中――日本の自衛隊はイラクでPKO活動を担った。しかし、自衛隊は法的および建前上、軍隊ではない――武装警察組織という位置づけだ――ので受動的な自衛権はあっても交戦権はない。国内法体系で軍隊として位置づけられていなので、交戦規範がないのだ。
  しかし、自民党政権は、アメリカ主導のイラク政策にはコミットしなければならないという判断から、派遣先は「戦闘地域ではない」という理由をつけて、自衛隊をイラクPKOに参加させた。ところが、イラクの戦闘地帯はまだら模様で流動的だったので、武装抵抗組織がいつどこに出現するか不確定だった。
  アメリカとその同盟軍(「多国籍軍」)は手が足りないうえに、それぞれの国内世論の羈束を受けていて自国兵員の死傷を出したくないという理由で、自衛隊の派遣地帯を防衛する余力はなかった。
  だが、交戦権をもたない日本の自衛隊のPKO活動の軍事的安全保障は必要だった。そこで、アメリカの民間軍事会社に自衛隊の派遣地帯の防衛活動を、契約によるセキュリティ・サーヴィスとして委託することになった――発注元はアメリカ国防総省なので、日本政府はその実態を知らないということになっている。
  その会社の業務はあくまで「民間企業の活動」ということで散発的な戦闘が発生し、会社の従業員に死傷者が出ても、多国籍占領軍当局に報告する義務はなかった。
  したがって、軍事活動の公式記録では自衛隊派遣地帯では「戦闘はなかった」ということになっている。事実は闇のなかだ。

  アメリカを盟主とする軍事活動に日本の自衛隊がより深く直接的にコミットするということは、そういう醜悪な現実の泥濘に足を進めるということなのだ。最近の安保法制の採用によって日本の自衛隊による「駆け付け警護」という事態が想定されるという。だが、上記の現実を考えると、何やら悪い冗談のようにしか思えない。

  原則上、最終的にはアメリカ政府が「発注者」として責任を負う仕組みなのだろうが、これまで公式上は国家が独占してきた戦争行為の相当部分を、民間軍事企業の営利活動に置き換えてしまったわけだ。しかし、国家としての統制をこうした傭兵たちにおよぼす気配はないようだ。そして、アメリカ政府はイラクでの「荒くれ傭兵」によるイラク人殺傷行為や破壊行為については、何らの補償もしていないようだ。
  それは、この300年間かけて、諸国家が組織した市民社会――国境を越えて広がる貿易世界と呼ぶべきか――からできる限り兵器や暴力と軍事行為を除去し、国家が一元的に管理するという原理=共同主観を掘り崩してしまった。
  その兆候は、じつは冷戦構造の解体とともに顕著な現象として現れてきてはいたのだが。

■パクスアメリカーナの片隅の現実■
  もともとアメリカでは、日本やヨーロッパの諸国家が市民社会の内部から兵器や武器を除去してきたのとは対照的に、市民の武装する権利が公然と承認されれきた。その意味では、アメリカでは、ヨーロッパや日本で達成されたような「近代市民社会」はいまだに完成されていない。きわめて野蛮で未開、後進的な状態の国家である。
  そんな国家が世界経済での経済的・政治的・軍事的な最優位を獲得し、最先端=情報技術の開発競争でこれまた最優位を確保しているのだ。一方で、民主主義や人権イデオロギーをリードしている。
  こういう状況を突き放して見ると、歴史とは、何か悪い冗談を見ているようなものではないか。
  自国の近代市民社会の平和原理を達成していない国家が、ヘゲモニーを握り「世界の平和」を組織化しようとしてきたのだ。

前のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界