数日後のある朝、大統領宮殿に置かれたの軍本部で作戦ミーティングがおこなわれた。
軍のお歴々が並ぶ――指揮系統の権威や序列を誇示する――「儀式」である。淡々と当面の作戦の説明がおこなわれた。
そしてロイ・ミラーが率いるMETは、アル・マンスールに赴いてWMDの探索をせよという命令を受けた。
ミラーは、事前にベマル大佐から「質問はするな」と言われていたが、最近とみに募ってきた疑問を幹部たちにぶつけた。
「WMDに関する情報は正確なのですか。この2週間、3回も誤った内容の情報に振り回されて空振りです」
進行役の大佐は、質問を無視しようとしたが、司令部の少将は取り上げて質問に返答した。
「本日朝の時点では、情報の内容は国防総省によって正しいと確認されている」
「では、情報の出所は?」
「機密事項だ。しかるべき手続きと検証を経ている以上、命令に従うように」
軍組織では上層組織の命令は絶対である。だがミラーはこれに疑問を呈したわけだ。最前線で命を危険にさらして任務を担う立場の兵員としては、当然の疑念だ。こうして、彼は上官たちから、「有能だが面倒なやつだ」と評価されることになった。ことに、クラーク・パウンドストーンは、ミラーを要注意人物と位置づけた。
グリーンゾーン内の豪邸で、優雅に暮らす国防省の高官は、前線の兵士の苦悩を考慮するよりも、ワシントンの風向きに従うことの方が決定的に重要なのだ。
疑問に蓋をされたまま、ミラーは宮殿を出ていこうとした。
途中で、彼はCIA現地部長のマーティ・ブラウンから声をかけられた。
「今日の任務は無駄になるよ。情報の出所も内容も当てにならない」
2人は互いに自己紹介し合い、今後の連絡経路を確認した。
当時、イラクを軍事的に征圧のちの統治体制をめぐって、ペンタゴン――アメリカ軍政部――のなかに路線の対立があった。
もちろん、私たちは今、ブッシュの大統領府は、はじめからシナリオを決めてかかっていたことを知っているが、当時は現地ではまだ路線は流動的に見えたようだ。軍幹部のなかでブッシュ政権の戦争・占領政策に危うさを感じていた派閥は、何とか軌道修正しようと試みていたのだ。
大統領府の意を受けたクラークは、イラク政府組織や軍組織、バース党などを全面的に解体し、新たな暫定政権を樹立しようと企図していた。フセインの命令に従ってイラク人民を抑圧し大量破壊兵器を開発保有してきたような悪辣な国家装置はすっかり除去してしまおうという論理だ。
これに対して、マーティ・ブラウンは、フセインの大統領府やバース党は解体すべきだが、占領後の混乱を収拾して秩序と治安を再建・維持するためにイラク軍内の反・非フセイン派と行政装置を残して利用しようと考えていた。
彼は、バース党ないしフセイン派と軍部とが必ずしも一体ではないことを知っていた。軍指導部とフセイン派は利害の調整によって妥協=同盟していたけれども、両者の間には反目や亀裂があることをつかんでいた。
イラクに投入するアメリカ(連合)軍の規模からして、イラクの秩序の再建と治安のためには、ブラウンの方針の方が正しいのは、初歩の常識であろう。敵側の攻撃能力の破壊と秩序の再建は、全く別の課題だからだ。
軍事的占領および残党勢力の掃滅と平行しながら統治秩序と平穏を再組織するためには、少なくとも30〜40個師団――70〜80万人――の兵員が必要になるだろう。現地に派遣されたアメリカ軍では、その規模に遠く及ばない。
アフガンにも軍を派遣して《2正面作戦》を取る以上、現在のアメリカ軍の力量からして、おのずと厳しい限界があるというわけだ。
だとすれば、イラク軍を利用するしかないということになる。
だが、ブッシュ政権と国防総省上層の方針判断は違っていた。彼らは事前に頑なに凝り固まった先入観によって融通の利かない――柔軟に対応する用意のない――シナリオを描いていたようだ。そして、その思惑に合致する「亡命イラク人反体制派」からの情報や助言だけを選別して受け入れていた。
つまりは「敵を知る「戦地の情勢を見る」冷静な視野を欠いたまま、ブッシュ政権はイラク戦争に突入したのだ。このこと自体、アメリカの政治・軍事情報の収集・把握における力能の著しい低下を示す事態ではある。もっとも、覇権の頂点にあった時期にも、アメリカは共和党右派の政治的要求に沿ってヴェトナム戦争に介入・f深入り継続したことを考えると、1960年代以降、敵や戦地の情報収集に関してアメリカが成功した試しはないともいえる。