政治用語ならびに軍事用語にWMDという言葉がある。 Weapon of Mass Destruction すなわち「大量破壊兵器」の略語だ。より正確に訳すと「大規模絶滅兵器」となる。1960年代、冷戦の激化にともなう核兵器・化学兵器・生物兵器および長距離ミサイル・大陸間弾道弾などの出現とともに、よく目にする言葉となった。
今世紀になってからは、アメリカ合衆国がイラク共和国に宣戦して侵攻・侵略したとき開戦理由となったのが、イラクのフセイン政権による大量破壊兵器の開発と保有だった。この戦争によってアメリカ合衆国と同盟諸国は、フセイン政権とともにイラクという国民国家の秩序を破壊してしまった。
イラク国民国家の崩壊はその後、アルカイダやISISなどのテロリスト組織の拡散・跋扈の原因となって、今日の世界秩序の危機を招いた。この場合の世界秩序とは、アメリカのヘゲモニーのもとで保たれている「相対的な平和」の構造であって、その危機とはつまりアメリカのヘゲモニーの危機を意味することになる。
アメリカはその覇権の軍事的行使で中東の国家秩序を破壊した。その結果、すでに衰退ないし弱体化の兆しを見せていたアメリカの覇権はさらに動揺し、テロが世界的に拡散し、アメリカの最優位の産物であるとともに、その土台であった世界秩序を危機に陥れてしまった。
現在、私たちは、イラクに対するアメリカの侵攻・侵略戦争を正当化した理由が根拠のない虚構であったということを知っている。イラクによる「大量破壊兵器の開発と保有」という開戦の理由は虚偽だった。
だが戦争は本物で、何万人もの兵員が戦場に送られ多数の死傷者がもたらされ、イラクの国家秩序と平和は破壊された。
民主主義とは程遠い独裁政権ではあったが、そのレジームの破壊は夥しい数のイラク住民の生存環境の崩壊をもたらした。このおぞましい事態を、大量破壊兵器WMDの探索と除去のために最前線で戦った兵士の目から描いたのが、『グリーンゾーン』(2010年公開)だ。
見どころ
この作品では、2003年3月の開戦直後にアメリカ(プラス連合)軍占領下のバグダードに派遣された陸軍上級准尉ロイ・ミラーの立場から、この戦争の理由が根拠のない虚構であるという事実を探り当てていく過程が描かれている。
開戦の理由が「大量破壊兵器WMDの開発・保有」である限り、戦争の目的は、危険なイラク政権の解体とWMDの除去・無力化ということになる。政権の解体を早期に達成した後、アメリカ軍と連合軍はWMDの捜索に取り組んだ。ロイはそのための小隊を率いて毎日のように出撃する。
ところが、WMDはどこにも見つからない。どこにもないからだ。命を懸けた危険な任務の結果たどりついた事実は、ブッシュ政権が侵略戦争を正当化するための虚構として「大量破壊兵器の開発と保有」を掲げたということだった。
「アメリカの民主主義」は、虚偽の理由で悲惨な戦争に突入する大統領府の無謀を抑止することはできなかった。政府の組織も軍の組織も、開戦理由の虚偽性を知りながら、暴走を止めることはしなかったのだ。
最前線の悲惨な状況のなかで悪戦苦闘する兵士の目から、政治装置としての軍や戦争の実態が暴かれていく。
| 次のページへ |