クイーン 目次
王室の威信と女王の孤独
見どころ
あらすじ
王室の存在意義はあるのか?
王室制度の虚構性
ブリテンのエリートの意識
ダイアナの孤立
女王の肖像画
ダイアナの死
ブレアの得点
女王 対 民衆
死せるダイアナ、生けるエリートを動かす
追い詰められる王室
    *王旗と国旗
「民意」と王室
狭まる包囲網
孤立する女王
女王の帰還
孤独の周りに漂うもの
ブレアと女王との再会
マスデモクラシーにおける王権
  マスデモクラシーとは…
  民衆の期待または要望
  ダイアナ公葬は浪費?
  民主主義と王制・身分制
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王室制度の虚構性

  私自身としては、王室廃止論者ではない。さりとて、王室の存在意義を肯定するわけでもない。私にとって、《王室という国家装置》は、なかなかに魅力的な観察対象なのである。つまりは、批判的分析の対象にほかならない。その意味では、好奇心本位で、存続してもらった方がいいかもしれない、というきわめて不遜でいい加減な立場だ。
  さて、ここでは、映画の物語を描く前に、「チャールズとダイアナとの結婚」という王室の制度慣行に縛られた「田舎芝居」が、はじめから破綻や失敗の可能性に満ちていたという文脈を検討してみたい。

  ウェイルズ公プリンス・オヴ・ウェイルズ――この公位は王の嫡子で王位継承順位が一番高い者に与えられる――のチャールズは、ダイアナ・スペンサーとの婚約が取り交わされる数年前から、離婚経験がある女性、カーミラとの交際を続けていた。
  だが、イングランド王はブリテン憲法上、ある側面ではイングランド教会の統括者=首長として位置づけられている――16世紀の Supremacy Act (王権至上法)という法によって。16世紀、イングランド王は離婚問題で敵対したローマ教皇庁からの教会組織の独立を求めて教会改革を推進し、その結果、イングランドはヨーロッパ大陸の属領のような従属状態から独立する条件ができたのだ。
  もとより、ブリテン連合王国には体系化された成文憲法典はないので、統治体系の基本構造 constitution は過去の一切の法令や慣習、コモンローの総体によって成り立っている。だから、王室の解釈と最高裁や議会――ことに最高法院としての貴族院――の承認があれば、制度上、旧弊な制度を個別に廃止する道はある。

  ともあれ、イングランドの国民的宗教=プロテスタント教会の最高指導者としてのイングランド王は、離婚経験を持ってはならないし、離婚経験のある配偶者を持つことは許されないとされてきた。
  もっとも、今から500年ほど昔、エスパーニャ王室(これを支持する教皇庁)との敵対や王室の財政危機の打開策として、何の理念や理想もないまま行きがかり上、「宗教改革」を始めた王は自ら最初のアングリカン教会の首長になったが、彼はエスパーニャ王室から嫁した妻と離婚しているのだから、この原則自体、そもそものはじめから、恐ろしく虚飾に満ちたものだったのだが。


  とにかく、チャールズ王太子を順当に王位につけるために、仮にそれが無理でも、母親のエリザベス2世が健在のうちに離婚経験のない女性と結婚して子どもを設けて、血統上正統な女王の跡継ぎをつくる必要があった。
  王位継承順位第1位という地位を保っているあいだにチャールズに嫡子が生まれさえすれば、その後ゴタゴタがあって夫婦関係が破綻しても、チャールズを飛ばして女王の孫に王位を継承させればいい、というくらいの冷酷な読みがあったのかもしれない。
  女王とチャールズの名誉のために言っておくが、それは彼ら自身の望みであったわけはない。チャールズ自身は、王位継承順位の最高位をほかの誰かに譲っても、カーミラと結婚したかったようだ。女王もそれを受け入れる用意はあっただろう。
  そもそもエリザベスに王位が転がり込んだのも、先々代の王が離婚経験があるアメリカの美女と結婚するために王位をエリザベスの父親(王の弟)に譲位したためだったのだから。王位を捨てて女性を選ぶ、何と粋な!

  だが、王室をブリテンという国民国家の権威の象徴として頂いている支配階級=ジェントルマン――なかでも宮廷を取り巻くインナーサークルのメンバー――たちが、国家装置(の担い手)としての彼らに、離婚経験のない女性とチャールズとの婚姻を既定の方針として押しつけたのだ。
  失礼な言い方だが、離婚経験がなく、生殖能力のある若くて健康で美しい若い女性をプリンス・オヴ・ウェイルズに宛がう必要があったのだ。「家柄が申し分なく良い」、しかもチャールズが抱える複雑な事情を容認するほどには従順な女性を王妃に迎えることになった。何やら競馬馬の繁殖牧場のような話だ。

  というわけで、贖罪の山羊になったのは、遥か昔に王族だったスペンサー家――父親は当時副伯でやがて伯になる――の美しい娘、ダイアナだった。とはいえ、スペンサー家はけっして「一般庶民」ではない。17世紀後半にイングランド王の地位にあったチャールズ2世の子孫の家系であって、ブリテンでは名門中の名門の1つだ。
  チャールズ2世は、17世紀半ばのピュアリタン革命の直後の「王政回復」ののち最初に(在位1660年〜85年)イングランド王位に就いたステュアート家の君侯である。
  こういう家門の令嬢、姫君なら王室の妃として申し分ない、ということだったのだろう。名門伯爵家の令嬢と王太子である公爵との婚姻なのだから。
  だが、選ばれた当の女性にとっては、たまったものではない。とくにその女性が上流階級の若い女性として、市民感覚や女性の自立とかキャリアとかにプライオリティを与えている場合には、投獄あるいは精神的拷問にも等しい扱いではないか。
  旧弊な王室制度をそのまま変えずに若い女性を嫁がせるというのは、人権や人間の尊厳の点から、きわめて深刻な問題だといえるだろう。

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