ほぼ1週間にわたる喧騒と葬儀が終わってから2か月後、ブレアは議会の新会期の開始を目前にして、女王の国事行為について打ち合わせるためにバッキンガムを訪れた。エリザベスに会うためだ。
ここでも女王は超然としていた。
儀礼ののち、ブレアは2か月前のことのついて詫びた。
「意に沿わぬことを要求してしまったのではないかと恐縮しています」と。
「いいえ、そんあことは気になさらなういように。互いに果たすべき務めを果たしたまでです」という返答。
「あの件については、あなたの助言に救われました。けれど、あなたは恩を売る(手柄を自慢する)ことはなさいませんね。
いずれ非難の矛先が自分に向けられる番が来ることに備えていらっしゃるのかしら。謙虚さを保って。
そう、ある日突然、批判・非難の矢が降り注いでくるのです。理由もわからずに。 そういうときは、(権力や地位を持つ者には)誰にも必ずやって来るのです」
この女王の指摘・予測は、12年後に見事に的中した。深刻な景気後退のなかで政府財政は悪化し改革は思うように進まない状況下、ブレアは政策論争のすべての戦線にわたって敗退して、世論の攻撃を全身に浴びて首相の座を降りた。21世紀になって世界金融は行きづまり、多くの国家の政府財政は深刻な危機に陥ったため、改革は市民の失望を買うという構造が定着したのだ。だが、このときブレアは、そのことを知るよしもなかった。
さてブレアが首相として議会での労働党の政策の基本方針をかいつまんで語ろうとすると、女王はいきなり質問した。
「散歩はお好き?」
イエスの答え。
「そう、散歩好きの首相であるのなら、うまく意思疎通できそうね。散歩は健康に最適だし、頭の働きも良くなるわ。うす暗くなる前のこの時間は貴重よ。私はこの時間の散歩が大好き」
と言って、女王は歩きだした。
会見の間から出たときに、ブレアは「あの1週間は辛かったでしょう」と切り出した。
「辛かったというよりも、困惑しました。いまだに私は、あのときの大騒ぎの意味を理解できません(受け入れられません)。…、でも王室もまたモダナイジングに適応しなければなりませんね、それなりのやり方で」
「そうですね。状況の変化には対応しなければなりません。そのためには、私は若干のお手伝い、助言ができるかもしれませんよ」
「それは(立場と権限の)僭越というものです。首相への助言は、私(女王)の任務です」
じつにウィットのきいた会話だ。そして、そこには、自分よりもはるかに若いブレアが、旧弊化して危機に直面しつつあるブリテンの政治構造や統治行構造の「変革」という「途方もなく難しい問題」にこれから取り組もうとしていることに、期待と懸念を寄せ、さらに突き放した冷たい視線を送っているのだ。
このあと、2人は美しく整備された宮殿の庭園を歩きながら当面の政策の方針について話し合うことになる。それがラストシーンだ。