やがて、そのトニー・ブレア夫妻がバッキンガムに女王を訪ねてきた。選挙結果を受けての儀式だった。
トニーは、本来なら保守党の政派に属する富裕な家系に育った。パブリックスクールからケンブリッジ大学を経て、弁護士そして政治家への道を歩んできた。彼の妻はクリティカルな左派の弁護士で、王室の存続には批判的だった。
トニーは左翼の思想に影響されながらも、パブリック・スクールからケンブリッジ大学とエリート教育を受けてきたということでエリート層の思考法や意識の洗礼を浴びていたため、ブリテンの政治体制については改革を加える必要はあるが、存続させるべきだと考えていたようだ。
オクスブリッジは、独立の教育研究組織としてのそれぞれ独立の学寮(研究機関)の集合体である。したがって、学寮で学び学寮を修了=卒業するのだ。学寮は日本の大学の学部とは異なる。修了・卒業までの年限も学寮・コースごとに異なっていて、学寮によっては大学院=博士課程しかないものもある。というよりも、ここの学寮は独立の機関なので、どういう課程を設けようと自由なのである。
学寮をひととおり修了すると、日本の大学の大学院(少なくとも博士課程前期)を修了する程度の学業を終えた程度の水準になるのが普通。
トニー自身は中道左派で、王室を含めたレジームの存続を認めていた。ただし、レジームは停滞と危機に直面していると認識していた。だから、旧来のレジームに新たな内容と行動スタイル、思考スタイルを持ち込もうとしていた。
だが、総選挙での勝利の結果、新たな首相府を組織するためにバッキンガムを訪問して女王の手の甲にキスすることには、何の疑問やためらいもなかった。
トニー・ブレアは、エリザベスとのはじめての面会を緊張して迎えた。
一方、これまで何十人もの首相と面会してきた女王は、儀典のしきたりを教えるように懇切丁寧な話し方で労働党の指導者に組閣の要請をした。そして、トニーの妻をも執務室迎え入れて儀礼的な会話をした。
その最中に、女王秘書官、ロビン・ジャンブリンがエリザベスに緊急の知らせを告げに来た。ブレア夫妻と女王との形式的な面談は、すぐに終わった――打ち切られたというべきか。
宮殿から帰り道の車中、妻のシェリーはトニーに女王との会談についての批評をもらした。
「本当に形ばかりね。挨拶したらお帰りくださいってわけ?!
きっとダイアナの問題ね」
シェリーの推測は当たっていた。
秘書官が女王に報告したのは、ダイアナの行動をめぐる情報だった。
そのときダイアナはメディアの注目の的になっていた。しかもゴシップの内容はといえば、アラブ系の金持ちドディ・アルファイドとの交際だった。
2人が会場のヨットで親密にしているシーンをパパラッチが盗撮した写真(セット)には、25万ポンド(約5000万円)の値がついたという。
そしてついに8月30日、パリでダイアナとドディがデイトしているところにマスメディアとパパラッチが押しかけて大騒ぎになった。
その翌日、つまりトニー・ブレアとの面談の日、パリのトンネルで2人を乗せたベンツが大破してドディは即死、ダイアナは重体に陥ったという知らせが届いたのだ。急報はフランス大使館からのものだった。
その深夜、ダイアナ重篤の報告が入った。秘書官ロビンが真夜中にエリザベスの寝室に押しかけて知らせた。
急報は同じ頃、ブレア首相にも届いた。
その夜のうちに、ダイアナ重体の知らせは死亡の知らせに変わった。
翌早朝、フランス政府は「ダイアナ、パリのトンネルでの交通事故で死去」の声明を公表した。メディアの大騒ぎが一挙に始まった。