クイーン 目次
王室の威信と女王の孤独
見どころ
あらすじ
王室の存在意義はあるのか?
王室制度の虚構性
ブリテンのエリートの意識
ダイアナの孤立
女王の肖像画
ダイアナの死
ブレアの得点
女王 対 民衆
死せるダイアナ、生けるエリートを動かす
追い詰められる王室
    *王旗と国旗
「民意」と王室
狭まる包囲網
孤立する女王
女王の帰還
孤独の周りに漂うもの
ブレアと女王との再会
マスデモクラシーにおける王権
  マスデモクラシーとは…
  民衆の期待または要望
  ダイアナ公葬は浪費?
  民主主義と王制・身分制
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追い詰められる王室

■それでも女王は夏休みを続行■
  世論の反発にはお構いなく、エリザベスとエディンバラ公、そして2人の王子は、バルモーラルでの晩夏の静養を続けていた。
  スコットランド辺境で、メディアの喧噪からも庶民生活からもはるかに離れた場所で、山岳や草原、森林や湖沼に囲まれて、彼らは優雅な別荘生活やキャンプ、鹿猟などを「楽しんでいた」。

  だが、メディアが先導する「世論の包囲網」=「民衆感情の包囲網」は輪を狭めて、王室に迫りつつあった。
  バッキンガム城庭園は、すでにいち早く、ロード・チェンバリンによって、民衆の献花や弔意表明の場として開放されていた。王宮外苑(庭園公園)も開放されていた。
  宮中伯=エアリィは、バッキンガム正門付近での献花を許可し、民衆が弔意表明のために王宮前に集合し、長い列をつくることを宮内府として許容していた。この裁定を女王から一任してもらう文書への女王自身の署名は、すでに強引に――なかば強要という形で――獲得していた。

  だが、実際に王宮正門への献花が始まってみると、そこに集まる民衆の数は当局の想定をはるかに超えていた。しかも、時間と日を追うごとに、参集者の数も花束ブーケの数もすさまじい増大していった。
  警備当局からは、バルモーラル城の女王に、民衆の行動が整然として統制のとれたものにするために、王宮前での「氏名記帳」を認めるよう求める要請が出された。しかも、花束の山に邪魔されて、王宮衛兵の交替式が正門前ではできなくなってしまった。
  大変なのは、バルモーラルに随行している女王つき秘書官ロビン・ジャンブリンだった。毎日、女王が城館にいる時間を狙っては、ロンドンからの文書や問い合わせ文書や新聞などを持って、伺候しなければならない。婉曲に女王への要請を伝達して許可をもらい、裁可応諾の署名をもらうために。

■「世論」なるものの包囲網■
  エリザベスもフィリップ公も、伝統的な王室のしきたりが批判にさらされ、それゆえまた従来のような王室と民衆との関係が崩れ去っていくのを、苦々しい想いで眺めていた。
  バルモーラルでテレヴィを観ても、新聞を読んでも、ダイアナをめぐる話題ばかりが大げさに取り上げられていた。
  マスメディアが伝えるダイアナ像は、かつて彼女が王室一員であったときに家族に見せた辛辣な顔とはかけ離れ、優雅さの装飾を施され偶像化されたものだった。この偶像化によって貶められるのは、王室の態度だった。


  日曜日の夕方、チャールズバルモーラルに戻った。エリザベスは、まだ夫婦だった頃にはダイアナとあれほど対立していたチャールズが、ダイアナが死去した今では、ダイアナの「よき理解者」に変わっていること――変わり身の早さと巧みさ――に冷ややかな目を向けていた。
  そのチャールズは、母親=女王を何とか説得しようとしていた。
  翌月曜日、エリザベスはチャールズ(そして3頭の愛犬=猟犬)とともに山岳部での鹿狩り場に向かった。車中で2人は論争になった。チャールズはエリザベスに譲歩を迫った。そして、ダイアナは2人の息子に対する母親としては愛情深く接していたこと、そして苦しい立場のなかで立派に振舞っていたことを告げた。
  メディアの主張に迎合するような息子の態度に腹を立てた女王は、車を降りて、歩いて帰ってしまった。

  そして火曜日、女王一家は湖の畔でのキャンプに出かける予定だった。
  ところがその朝、出発直前になってブレア首相からエリザベスに電話がかかってきた。バルモーラルに来てから2度目の首相からの――女王の譲歩を求める説得の――電話だった。
  最初は、ダイアナの死去について王としての声明かコメントを発表する用意はないか」という内容だった。その提案は慇懃無礼に無視して拒否を示した。
  すると今度は、「王としての声明が無理なら、せめてバッキンガム王宮のマストに半旗を掲げてはいかがか」という慫慂だった。
  女王は唖然とした。
  王室の歴史と伝統を無条件に尊重する以前の(保守党の)首相であれば、そんな無茶な要請はするはずがないからだ。
  もちろん、王宮はウィンザー王家の私有財産で、そこに掲げる旗はイングランド王(ただし連合王国の支配者としての王家)の旗だった。つまり王旗 Royal Standard だ。国旗「ユニオンジャック」ではない。だから当然、世論に合わせる謂われはないし、王室外に去ったダイアナへの弔意を表明する手段ではありえない。
  王の王宮滞在を意味するパースナルな象徴なのだ。
  だから、王家の当主としての女王としてはブレアの慫慂を受け入れるわけにはいかない。

  イングランド王室のあり方を――何ごとも制定法による完全法治主義を取る――日本の皇室と類比して考えている人たちは面食らうことかもしれないが……アングロサクスン法「コモンロー・システム」では過去の法規や法慣習があまり廃止されることなく市民社会での人びとの行動慣習や実定法化されない法規範の集合の総体で法体系が成り立っている。
  王制もそうで、政治学上はイングランド王室は国家装置だが、厳密な法制度としては政府によって規制される存在ではないし、王家は――国内で最有力で最も富裕な――1私人の家門として振る舞う自由も保持している。王宮での王旗(国旗ではない!)掲揚もその自由権の1つだ。
  王旗は王が代わるごとにデザインを変える。下掲の王旗はエリザベス2世用のヴァージョンで、バッキンガム王宮滞在時に宮殿マストに掲揚するもの。


イングランド王国内用の標準女王旗

  バッキンガム宮をはじめとする王宮も現在のウィンザー王家が所有する私有財産。また、一般企業が商品・サーヴィス名に王室またはそのメンバーのイメイジを使用する場合にも、王室は使用権の承認と引き換えにかなりのロイヤルティを受け取っている。それは王家の家政収入となる。
  面倒なのは王位継承順位の決め方や政教分離をめぐる王室と国教会との関係で、とくに後者については、王が教会の首長の役割を務めるという法は廃止されずに、社会慣習や統治慣行としてそうなったまでのもの。だからひとたび紛糾が始まると法理上は収拾がつかなくなるかもしれない。まあ、エリート層の総体としての意思決定がカギとなるだろう。

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