バルモーラルでは、とかくするうちに女王以外の家族は丘陵に出かけてしまった。そこで、彼女はランドロウヴァーで後を追いかけた。
ところが、いくぶん気分がささくれていたせいか、女王は渓流を渡る場所で不注意に運転したため、車輪のシャフトが折れてしまい立ち往生。車から降りた女王は故障箇所を見てから、城の係員に電話を入れて、助けを求めた。
従者たちが来るまで、女王は川岸の大きな岩に腰かけて、物思いにふけった。
今、彼女は孤独を感じていた。自分が理想とする自己規律に沿って行動すればするほどに、民衆やメディアとの距離が広がっていく。「世論なるもの」が女王を包囲して孤立させている。無意識に涙が頬に伝い落ちた。
そのとき背後に気配を感じて、女王は振り向いた。
反対岸の草原に大きな牡鹿が佇んでいた。大きな角を持つ、美しく立派な姿。まさに麗しい(「麗」という文字は大きく立派な角をもつ牡鹿を意味する)生きものだ。しばらく女王は見とれていたが、
「鹿追い人たちが狙っているのよ。早くお逃げなさい」と語りかけた。
だが、鹿は逃げないで堂々と振る舞っている。
女王はふと我に返って、ふたたび振り向くと、鹿の姿は消えていた。
草原と森に囲まれてただ独り、救援を待ちながら、現下の状況で王座にある者としていかに振る舞うべきか、エリザベスは自問し始めた。
■女王の苦悩と決断■
翌木曜日の早朝、ブレアはテレヴィで有力通信社やBBCなどの論調を観ていた。
王室と「世論」との乖離は決定的だった。おりしも、最新のBBCによる世論調査の結果が届けられた。翌日の発表よりも前に、首相に届けられたのだ。というのは、王室に関する問題だからだ。
その資料を読んでから間もなく、ブレアはバルモーラルの女王に電話を入れた。散歩に出かけようとしていたエリザベスは、通話を目の前の厨房に回してもらって――城は広いのだ――受話器を取った。
ブレアは最終的な助言(というよりも勧告)を告げた。
「マアム、今朝の新聞をご覧になりましたか。事態は危機的(臨界点に達している)です。あす発表される世論調査結果では、回答者の70%が現在の女王の行動が王権の威信を損ねていると考えています。そして、(今のままの王室なら)民衆の4人に1人が王室を廃止すべきだと判断しています…」
ブレアの勧告は女王に次の4つの行動を求めるものだった。そして、首相は女王が「ノウ」とは言わないものと決めてかかっていた――つまり、拒否すれば政権はもはや王室を擁護しないという最後通牒となるということだ。
@バッキンガム(そのほかの王宮にも)に半旗を掲げること
Aただちにロンドンに帰還すること
B公開の場でダイアナの柩に告別をすること
Cダイアナの葬儀にあたっての声明を発表すること
エリザベスは受諾の返答はしないまま「聞きおく」という形で受話器を置いた。そして、王太后=母親の部屋を訪ねた。そこで、首相からの提案を告げた。
苦々しい表情で娘の話を聞き取った王太后は、エリザベスを引き連れて庭園に向かった。散歩しながら語り合った。
エリザベスは、民衆の意識や世論を測りかねていた。自信を喪失していた。
「人びとの考えがわからなくなったのだから、次の世代に王位を譲ろうかしら」
「何を言うのです。あなたは全生涯を王冠に捧げると誓ったのでしょう…あなたは、王室が誇るべき宝よ。よくやってきたわ。むしろ、あなたがいなくなったのちに問題が噴出するわ」
結局、女王はブレアの提案をすべて受け入れることにした。
翌朝、王室一家はバルモーラルを発つために、城の正門に出た――居館から城門までは何マイルもある。正門には、人びとが押しかけていた。そして、バッキンガムの正門から運び込んだ献花の一部が置かれていた。女王一家は、花束に歩み寄って、花束に添えられたメッセイジを読み取ろうとした。
この場面は、全世界にテレヴィ中継された。