同じ夜、ブレア夫妻はテレヴィを観ながら話し合っていた。
テレヴィは、ダイアナの死と王室の対応をめぐるブリテンや諸外国の「世論」を取り上げていた。画面に登場する論客はみんな、王室の旧弊で頑なな態度を批判していた。その分、ブレア首相への評価は高まっていた。改革者として王室の運営にも変革をもたらしてくれるのではないかと。
ブレアはしかし、自分に対する高い声望の報道に顔をしかめていた。ブレアにしてみれば、安定した統治のためには、女王と首相との意見の違いが際立つことはむしろ避けなければならない状況なのだ。
妻のシェリーが語りかけてきた。
「ようやく、民衆は王室という制度が時代遅れになっていることに気づいてきたみたいね。自分たちは税金を払わずに、尊大な振る舞いをしながら莫大な資産と収入で裕福に暮らしていると」
「いや、彼らも税金を払っているさ」
「ほんのわずかね。でも、民衆が払った税金から王室には毎年4000万ポンドも回されているのよ。莫大な資産があるのに。
それで、まるで別世界の大富豪暮らしよ」
「おいおい、共和制への転換を要求するのかい。いや、それは女王の治世中にはありえないね。王政の段階的廃止について議論するなら、応じよう」
「あなたは、女王様にマザーコンプレクスを抱いているのよ。お母様が生きていれば、女王様と同じ年齢ですものね。ストイックに不平も言わずに戦争や窮乏に耐えた世代として…」
ところで、事態はフィリップ公が期待したようには動かなかった。ダイアナ追悼への人びとののめり込みはいっそう広がっていった。バッキンガム宮への献花と弔問記帳に集まる人びとは日を追って増え続けた。行列は何倍にも長くなった。
■ブレアの提案■
民衆と王室との意識の断絶はもはや危機的なものになっていた。首相は政府の最高権力者だが、名目上はいまだに王の枢密院最高顧問会議(キャビネット)の首席閣僚である。王政の重要問題や王室の危機や機能麻痺にさいしては、王に進言しなけらばならない。女王の退位や王政の廃止という要求が掲げられる前に。
市民革命以後のブリテンの統治慣行では、王の統治の実務を担う枢密院最高顧問会議 Privy Council は王の執務室
the Cabinet で開催されていたので、この部屋に集まる閣僚団をキャビネット(最高閣僚団)と呼び習わすようになった。このキャビネットはやがて、議会庶民院で最有力政派の指導者が自ら首席閣僚 the Prime Minister ――当時、首席閣僚は財務卿 the Lord Treasury ――となって組織するようになった。
これが「内閣」と邦訳され、明治以降の日本で採用されることになった。
翌朝(水曜日)、ブレアは女王に電話を入れた。朝のお茶の時間に。
「弔意声明を出すべきだというの?」と切り出した女王に、首相は女王に婉曲に代案を慫慂した。
「いいえ、声明を発表するタイミングはすでに逸しました。それで、…こういう風にしてはいかがですか。バッキンガム王宮に半旗を掲げさせ、そしてそちらから王宮に帰還されてはいかがですか」
「いいえ。私が母親を亡くして悲嘆にくれる孫たちを置いて、王宮に戻るなんてことはできません。
今の喧噪は、コマーシャリズムにはやるメディアが煽り立てたものです。ブリテン民衆の矜持は、悲しみを静謐に抑制をもって耐えることにあります。私は、それを信じます」
女王に助言=提案を拒絶されて困惑するブレア。何か打開策はないかと考え悩む。
女王秘書官ジャンブリンは、今の電話を別の受話器で聞いていた。彼も女王と世論との間で板挟みになっていた。そこでブレアに電話して、こう要請した。
「女王は自分の信ずる使命感に忠実なだけだから、今後も説得を続けてほしい」と。
つまり官僚装置としての宮内府の意見としては、女王と王室の行動スタイルは世の中の状況に柔軟に適応して変えていくべきだ、そして、今がそのときだというわけだ。