淡々と、そして冷静に それが何ごとにつけても「王室と女王のたしなみ」だった。それが王位と王室の品位と威信を保つための術だった――それまでは。
ところが土曜日の朝、世界中にダイアナの事故死が報道された。その瞬間から、死せるダイアナの「虚像」がマスメディアをつうじてブリテンの政治世界を徘徊し、膨れ上がっていった。メディアの情報によって踊らされながら、メディア自体が大衆の意識によって束縛されていく、自縄自縛の自己運動。それがマスデモクラシーの世界におけるシンボルの作用をめぐる「鉄の法則」なのかもしれない。
とはいえ、そんな一般民衆=下層民衆の傾向から超然と屹立しているべきだ、これがブリテン王室のスタイルなのだ。エリザベスは長い在位期間中に、そういう教訓を学んだ。というよりも、それが君主の威厳なのだ、と。たとえ身近な肉親が死んでも涙を見せてはならない。毅然と立ち続けよ――そう自分に言い聞かせてきたのだろう。
連合王国UKの国歌の如く、「ブリタニアよ、奮い立て!」ということか。
エリザベスには、ダイアナの死に対して取り乱さず、冷静さを保つことが王としての威厳とたしなみだと信じていた。父王の死=葬儀にさいしても、若いエリザベスは涙を見せたことがなかった。それが王の振る舞いなのだ。
まして、ダイアナは王室から出ていった人間。安っぽい哀悼や「今更ながらの美辞麗句」を並べ立てて大衆に迎合するわけにはいかない。
その日、女王一家のうちエリザベスとフィリップ・エディンバラ公、そして孫2人は、毎年の晩夏の恒例行事としてスコットランド、アバディーンシァー、バルモーラル城に出かけた。そこで静養を兼ねて山野を渉猟したり、鹿撃ち猟をするのだ。そして、独りチャールズはパリに飛んだ。
バルモーラル近隣の山岳や湖沼、草原の自然環境は大切に守られている。その大半は王室の直轄領で、彼らの私有地だ――ただし固定資産税は課されない。しかもその自然環境の厳格な保護のために、民衆の税金が相当額回されているのだが。しかも、一般民衆はそこで鹿猟などという途方もない贅沢=浪費には手が届きそうもないし、やろうとも思わない。
ただ、王室の伝統のために、そして王室と大貴族の慣習を真似て、招待されるシティのエリート富裕層たちが大金をはたいて鹿撃ちに来るのを待つために、広大な山野が巨額の管理費をもって管理され、排他的に確保されているのだ。
ダイアナの死に眉一つ動かさず、女王たちはアバディーンの城に保養に出かけた――そのように人びとは受け取った。メディアもそういう含みの報道姿勢だった。王が出払っているバッキンガム城の旗マストには、それゆえ王旗は掲げられなかった。王旗の掲揚は、城に王が滞在している場合にのみおこなわれるのだ。
たとえ王が死んでも、バッキンガム王宮の掲揚マストには哀悼を表現する旗を掲げてはならない。これが、数百年来の王室の約束事だった。旗は王が城にいるときにのみ、高く掲げられるのだ。ただ王の滞在を意味するだけで、何らの王室の意思を示すものではないのだが、政治的装置としての王の存在を示す行為は、一般民衆にとってはそれだけでも何らかのメッセイジを込めたものとならざるをえない。
というわけで、城の旗の意味を深く考えることもない一般民衆は、バッキンガム城のマストには半旗( the flag at half-mast :文字どおりマストの中程での旗掲揚)を掲げるべきだと考えた。マスメディアもその意向を後押しした。
冷静冷淡を装う王室に対して、民衆は哀悼を表現する行動に出るべきだと考えた。彼らはバッキンガム宮殿の正門に献花を始めた。マスメディアが献花の映像を流すと、次から次へと人びとが花束を持って押しかけてきた。まるでマスヒステリアのように。つまり一種の自然発生的な政治的運動になりつつあった。
メディアがつくり上げたダイアナの虚像は、大衆心理を共同幻想に染め上げていった。大衆社会で普段は砂粒のように分断され孤立している個人たちが、ダイアナの死の報道を機に連帯や絆を求め始めた。社会的弱者の困窮や死に臨んでも涙を流さない人びとの多くが、巨大な資産に恵まれ「メディアの寵愛」を受けたセレブ女性の死に対して涙を流し、高価な花束を持ち寄って来る。
何という自家撞着だろうか。要するに人びとは、「自分は悲しんでいるんだぞ」という自己表現をしたいのだ。冷淡な王室の態度に対比させて・・・
民衆の多分に自己陶酔、自己耽溺を含んだこの行動は、しかし、《イングランド王室というもの》が代表する仕組みや権力に対する批判をも含んでいたともいえる。