クイーン 目次
王室の威信と女王の孤独
見どころ
あらすじ
王室の存在意義はあるのか?
王室制度の虚構性
ブリテンのエリートの意識
ダイアナの孤立
女王の肖像画
ダイアナの死
ブレアの得点
ブレアの得点
女王 対 民衆
死せるダイアナ、生けるエリートを動かす
追い詰められる王室
    *王旗と国旗
「民意」と王室
狭まる包囲網
孤立する女王
女王の帰還
孤独の周りに漂うもの
ブレアと女王との再会
マスデモクラシーにおける王権
  マスデモクラシーとは…
  民衆の期待または要望
  ダイアナ公葬は浪費?
  民主主義と王制・身分制
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ブレアの得点

  チャールズは夜が明ける前に王室専用航空便でパリに向かった。
  チャールズが王太子として元妻の遺体を迎えに行き専用機で連れ戻すことについては、女王もエディンバラ公――女王の夫君――も反対だったが、チャールズの説得に折れたのだ。
  チャールズ自身は離婚をしたために王位継承権を失った――確定事項ではないが、そう見られている――ことから、彼の息子たちに王位継承順位の第1位と第2位が与えられることになった。すると、ダイアナは次代の王の母親ということになる。であってみれば、王室しては「将来の王の母」としてしかるべく丁重に扱うべきだというのが、チャールズの言い分だった。
  チャールズは、カーミラとの関係を維持したことが離婚(ダイアナの反発)の原因であったことを率直に認めているようだ。だから、彼の両親(エリザベスとエディンバラ公)のように、ダイアナを王室の慣習・嗜みに逆らった「跳ねっ返り娘」とは見なしていないようだ。
  というよりも、母親たちよりも民衆の意見や感情に敏感で、彼らに嫌われる行動は取りたくないという本音が見える。何ごとにつけても優柔不断なのだろう。言い換えれば、エリザベス2世の死後(退位後)には、王室にとってきわめて困難な状況が待ち構えているとチャールズは怯えているのかもしれない。

  その朝、ブレアは首相就任と組閣の準備に追われていた。そこにダイアナ死去のニュウズが飛び込んできた。ブレアはただちにこの事件をめぐる声明を発表することにした。トニーは、首相戦略室補佐官のアラスター・キャンベルに声明の原稿作成を指示した。
  翌朝(9月1日、日曜日)、自分の選挙区でダイアナの死去に関する声明を発表するために出かける前に、ブレアはエリザベスに電話を入れた。女王または王室として声明(弔意の表明)はしないのか、葬儀において王室として直接関与してはいかがか、という婉曲な提案をするために。
  だが、女王の返答はにべもないものだった。
  「王室との関係がなくなったので、声明は出さない。葬儀はスペンサー家からプライヴェイトにおこないたいという申入れがあった。だから、王室としては関与しない」と。


  なおも説得を続けようとするブレアに対して、女王は「孫たちの世話があるから」と言って電話を切ってしまった。

  その日、王室一家はスコットランドの別荘格の城に避暑に出かける予定で、エディンバラ公が女王に早く電話を切れという仕草を見せたためだった。そこには、母親の死に衝撃を受けて悲嘆にくれる孫たちをロンドンの喧噪からできるだけ早く引き離そうという配慮があったのだが。
  ブレアは女王たちの冷淡な態度にカチンときたようだ。だから朝の声明では、ダイアナに対する哀悼の意をより強調し、冷淡な王室に対して「庶民の気分」を誇張するくらいに代弁してやろうと考えたようだ。
  ブレアの哀悼声明は、ダイアナがブリテン社会に与えた影響力を高く評価したものので、彼女は「民衆の妃殿下: people's princess 」として永く人びとの心に生き続けるだろう、と謳いあげた。
  この「民衆の妃殿下」という表現はメディアできわめて好意的に受け止められ、普段は労働党に攻撃的な保守系紙もブレアの声明を褒めあげた。そういう形で、マスメディアは、関心も関与も示さない王室と女王に態度の変更を求めたといえる。

  メディアは「ダイアナの死に冷淡な王室、暖かな配慮の首相」という構図を示して見せたわけだ。ということは、ブレアが率いる労働党の大躍進の背後には、民衆や知識人、メディアが、旧弊化し硬直化したブリテンのレジームの手直しあるいは再検討を求めていたという社会心理状況があったのだろう。それが、ダイアナの急死で、旧弊なレジームの象徴として王室が槍玉に上げられたということなのだろう。
  王室がメディアをつうじて民衆の世論や心理に大きな影響をおよぼす政治装置・イデオロギー装置であってみれば、その影響力を保つためにも、民衆の気分や心理から余りにかけ離れたままで押し通そうとする態度は許されないだろう――それが政治の仕組みなのだ。

  専制王政とか独裁レジームのもとでは政治的シンボルは民衆に特定のイメージを一方的かつ強引に振りまくことはできるけれども、民主制のもとではシンボルには――シンボルとしての価値や役割を維持し続けるためには――民衆の側の期待や願望をある程度充足させることが求められるのだ。

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