バッキンガム王宮内の会見室では、女王の声明をテレヴィ録画するための道具立てが準備されていた。
BBC局スタッフの指示にしたがって、エリザベスは雛壇に登ってメッセイジを読み上げた。彼女は即位以来50年以上の長きにわたって、女王としての仕事に取り組んできた。自然に備わった威厳や気品――と呼ばれるもの・雰囲気――が自然に醸し出される。
条件反射、いや無条件反射にまでなった連合王国の君主としてのロールプレイングのなせる業だ。
■ブレアの立場■
夕方6時のテレヴィニュウズで女王の声明を観たブレア首相は、感動していた。厳しい世論に包囲されて孤立していた女王が、王政の危機を回避するために、自分の信条を抑え込んで、「期待される役割」を演じ切っている。言ってみれば、マスメディアや「世論」への譲歩、というよりも屈従、屈服だが、それでも声明を読み上げる態度には微塵も卑屈さや「敗北の惨めさ」が微塵もない。
女王はレジームの主要な一環としての王室の立場を守るために、自ら決断してブレアの提案を受け入れ、自ら役割を果たしているのである。
「機能不全に陥っているブリテンの古い制度を改革して新たな内容を組み入れる」という立場で総選挙を戦って勝利したトニー・ブレア。現代社会に適合しなくなった旧弊な制度には、おそらく王室のあり方も含まれていただろう。
ブレアは労働党の中道改革派として、本来は王室の制度や動きに批判的だった。
だが、その視点は、王室から遠く離れた外部の視点からだった。ところが、ダイアナの死の直後から、首相として、国家装置の運営の問題として――国家の制度としての王室の危機を回避するための――王室の説得という課題に向き合うことになった。
首相になったブレアは民衆と王室との中間に立って、双方の媒介者・調整者の役割を果たすことになった。そして、間近に女王(と王室一家)を見ることになった。制度と役割を担う「生身のパースナリティ」を持つ女王とまみえることになった。
その任務の経過と経験をつうじて、王室に対する具体的な考え方が変わったようだ。あるいは、裕福なエリート階級家系の育ちで、政治的には保守党の流れをくむ家系の影響を受けているせいかもしれない。
それにブレアは「左翼」ではない。中道改革派だ。そのせいかもしれない。
この映画作品には、ブレアの王室ないし女王への見方を描くシーンがいくつかあった。たとえば、金曜日の朝、首相公邸での出来事。
新聞やテレヴィニュウズは、こぞって「王室はブレアに膝を屈した」という論調だった。だが、ブレアは女王に同情的だった。ブレアのこれまでの苦衷を慮って首相補佐官アラスター・キャンベルが女王の態度をあてこする発言をしたときには女王をかばって反論した。
「半世紀以上にわたって女王の任務を務めてきた人に対して礼を失する」と。
エリザベスの伯父ウィンザー公(エドワード7世)が王位を退いたために、1910年、彼女の父親が急遽(ジョージ5世として)王位を継承した。第1次世界戦争と戦間期を挟む在位期間は、ブリテン国家は危難の連続で、ジョージは心労のために相当寿命を縮めたといわれる。
1936年に王ジョージ5世は倒れて、わずか15歳の少女、エリザベスが王位を継承することになった。それから60年が経過した。
莫大な資産や権威をともなう地位は、さぞかし気分がいだろうと思うかもしれないが、ひたすら自分を抑え込む暮らしの連続である。つねに「期待される役割」を演じ続けなければならない。
今度のように、王室のしきたりと「世間常識」あるいは「民意」とが乖離して対立することもある。そのさい王室の民衆との関係を修復するために、女王はこれまた「期待される役割」について煩悶し、懊悩した。そして、それまで自らが学んできた行動スタイルや発想を投げ捨てて、説得を受け入れ首相の助言にしたがった。
その潔さにブレアは感動したのだ。
■盛大な葬儀■
土曜日、ダイアナの公葬がおこなわれた。
離婚前、彼女が家族とともに暮らしていたケンジントン宮殿からウェストミンスター大聖堂のあいだ――ここで遺骸との別れを告げるパレイドが催された――の道沿いには、膨大な数の群衆が詰めかけていた。
そして、大聖堂での会葬の儀式。そこには、世界中から参列者としてセレブたちが招かれていた。ハリウッドのスターたちもいた。有名な財界人も。もちろん、ブリテンの首相ブレア夫妻もいる。
ここに招かれること自体が、これ見よがしのステイタスシンボルなのだろう。
社交の夜会のようだ。雰囲気は厳かだが、自己顕示や権力や地位の誇示の場のように見える。あるいは駆け引きとしての「ポリティカルゲイム」のように。
それは同時に、メディアが巨額の収益を上げるイヴェントとなっている。
参列者は本当に、ダイアナの死を悼んでいたのだろうか。それとも自らのセレブリティに自己陶酔していたのか。
ブレアは聖堂のなかで、ついつい女王の姿を探してしまった。エリザベスは見事にあらゆる感情を抑制して端然と構えている。超然とした強い意志、自己抑制が伝わってくる。