あるときウォルターは、学会の研究集会が終わって帰宅の道の途中で寄り道してセントラルパークを散策してみた。すると、広場でドラム演奏を趣味とする人びとが集まって演奏していた。
ドラムの集合が奏でる力強いリズムに惹かれて、彼らの近くで見ていると、演奏に参加するように誘われた。それでウォルターも仲間に加わることになった。
公園でのセッションに自分用のジャンべを持って参加することになった。
やがて、タレクもセントラルパークでのセッションに参加することになった。
というわけで、ある日、ウォルターとタレクはジャンべを大きなバッグに入れて地下鉄に乗ってセントラルパークに向かった。ところが、駅の改札ゲイトでタレクが阻止され、警戒中の警官によってただちに不審者として逮捕してしまった。
というのも、2001年9月のテロ攻撃からこのかた、ニュウヨークの主要な運輸交通施設――空港、バス停、鉄道や地下鉄の駅など――には監視カメラのほか、日常的に警察による警戒態勢が敷かれていたからだ。この警戒態勢のもとで、中東ないしアフリカ系の容貌で、不審な挙動や手荷物携帯を疑われた人びとが当局によって容易に拘束されるようになっていたのだ。
タレクは警察に逮捕されて拘留され、取り調べられた。
そのなかで、タレクのアメリカでの滞在の実態が判明した。タレクと母親はシリアに逃れたパレスティナ難民だったが、6年前にタレクは母親に連れられてアメリカに不法入国してきたのだ。
入国審査手続きの過程で、入国管理局から、母親は不法入国者として、毎月の保護観察官への出頭ないしは報告を義務づけられていた。だが、この2、3年は報告を怠っていた。シカゴの住所を変えなかったから、報告しなくても大丈夫と思ったらしい。難民母子が生きるために日々の糧を得るのが精いっぱいなのだから。
ところが、タレクはジャンべ奏者としての成功を夢に見て、シカゴからニュウヨークに出てきた。少年だったタレクは、不法移民に関する法規制を知るはずもなく、当局による監視や観察を経験していない。だから、不法入国者としての法定義務に無知なまま、住居を変更したのだ。だからもちろん、この転居にさいして報告や当局からの許可を得ていない。
不審者として警察に拘束され、タレク自身や母親が取り調べを受けた結果、そういう事情が当局によって把握されてしまった。
数年間も保護観察報告をしていない不法移民の家族が、これまた正規の手続きと許可なしに移住してしまったということになった。というわけで、明白な法令の侵犯ということになってしまった。
母親は息子のタレクを守るための注意義務を怠っていたということだ。母親の過失で、アメリカでの滞在権・居住権という恩恵を失う羽目に陥ったのだ。それは、法令の専門家ではない不法移民にとって理不尽なハンディキャップだ。
とはいえ、不法入国というリスクを背負ってアメリカで生きる者としては、ここで生き延びるための注意を怠ったというほかない。不法移民としての立場を意図的に選択をした以上、合法的な居住権や市民権を獲得するためには闘い続けるしかない。しかるべきコストを払って市民権を闘い取れ! それが「自由の国」アメリカに不法入国した者の掟なのだ――これが当局側の言い分ということになる。
タレクは、単なる善意の不法滞在から「法令違反を犯した不法滞在者」になってしまった。というわけで、タレクは、「違法行為によって何らかのペナルティを加えられるべき不法移民」となり、そういう人物を勾留する留置施設に移管された。
このままでは、母親ともども国外退去、つまりシリアへの強制送還に処されてしまう。