――マルクスの解体と再構築――
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ところで、マルクスやエンゲルスの著作は、第2次世界戦争の結果、ドイツにあった資料の多くがソ連に没収され保有されたために、不可避的にソ連の政治的目的などが絡みつきながら文献研究、資料編集、出版公開がなされてきた。そのために、本来あったはずの叙述がメイキング(政治的意図による編集)によって再現・構成されることが避けられなかった。
そこで、マルクスの著作を読むに際しては、論理構造や文脈を丹念に吟味して、つまり自分なりの「イデオロギー批判のフィルター」を通して、叙述や言説を再構成しなければならない。
著作集の刊行が政治的ヴェクトルによって変成されてしまうことは、文献研究者や出版編集者が厳格な公正さを保っていたとしても、不可避的に生じることもある。つまり、その編集者の、現実社会での課題意識や政策的立場が、なにがしか反映されてしまうということだ。
現代においては、刊行にかかわったソ連のマルクス・エンゲルス研究施設や科学アカデミーだけの問題ではない。そもそもマルクスが残した《資本》の原稿そのものが、雑然索莫とした覚書や草稿、注釈などの寄せ集めにすぎなかったのだ。マルクス自身は、自分が提起した問題の重さに押しつぶされて、本来の構想の10分の1もまとめられなかったのだ。
実際に《資本》を編集出版する作業は、第1巻についてはエンゲルス、それ以降はマルクスの後継者を自任するべーベルやカウツキーなどがどうにか形の上でだけ草稿やメモをまとめて、ようやく刊行にこぎつけた。しかも当時はまだ未発見の草稿も多かった――《要綱》の文献研究は1950年代にようやく始まったらしい。だから、マルクス自身の《政治経済学批判の構想》ないしプランとの関係、構想の意味を十分に検討する条件や余裕がなかった。もちろん、彼らはいずれも誠実な社会科学者ではあった。
だが、そういう検討がないままに、むしろ政治的な理由、当時のドイツ社会民主党の(革命理論上の主導権争い)なかで自分たちの政策綱領の理論的権威づけ、根拠づけのために、出版にこぎつけたという事情もなくはなかったようだ。
そこで、ここではひとまず、《政治経済学批判要綱》のプランを批判的に検討して、その体系に沿って《資本》で描かれた理論(カテゴリー体系)の意味と限界を画定することにしよう。
とはいえ、《要綱》を読んだ人はお気づきだろうが、その叙述と内容は非常に混乱している。覚書=ノートだから仕方がない。それに、後代の学者がその政治的立場や学術上の立場に束縛されて、意味文脈把握の難解なテクストを、自分の理解しやすいようにメイキングしてしまったのではないか、と考えざるをえない部分が頻繁に出てくる。
厳密に意味を取っていくと、論理や文脈に齟齬が出てくる部分が多いのだ。
それは、あるいはマルクス自身の混乱・混迷・困惑そのものだったかもしれない。それに、後代の研究者の混乱や思惑が絡むのだ。検討といっても、容易な作業ではない。むしろ、不可能というべきほどに困難な作業だ。
こうなると、現代世界で提起されている問題をより深く、体系的に理解できるようになる(と私が考える)視点や判断視座によって、強引に割り切って考察するしかない。
その場合、これを読む人はすでに《資本》を何度か読み通して、一通りの理解ができているものと予定する。だから、ここではいきなり「『・・・』という見方や理論は」というような書き方になる。《資本》そのものの内容については解説しない。それぞれの見解や理論がどこに叙述してあるかも説明しない。
というのも、ここでは読者諸賢の批判精神を刺激しようとしているのであって、「なるほど、そういう課題があるのか」と理解してもらえれば十分だからで、衒学的な言葉遊びをしている余裕はないからだ。