――マルクスの解体と再構築――
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ところが、その後マルクス派で主流となったのは、西ヨーロッパ・アメリカでの産業と資本の集中、そして銀行資本との結合による独占資本の権力構造の分析の方法論をめぐる論争だった。しかも、それを、マルクスが《資本》の1、2巻で構成した抽象的な「純粋な資本主義的生産様式」の――資本の集積・集中への傾向――論理から直接に導き出す方法に限定されていた。
国家(財政)や軍事、戦争などの問題はもとより、古くから存続してきた王権政府と商業資本との結合による独占、金融システムでの寡頭商人層の支配権力などとの関連をまったく度外視していた。
要するに、本源的蓄積理論の問題提起はすっかり等閑視されていた。
たとえば、独占資本主義=金融寡頭制の考察で最も気の利いた理論を提示したルードルフ・ヒルファーディングの《金融資本 Rudolf Hilferding, Der Finanzkapital, 1909 》を見てみよう。
それによると、大工業での資本集積と銀行での貨幣資本の巨大な集積の結果、両者の融合が生じ、大規模かつ長期の投資で銀行資本の支配力が主導して一挙に大規模な企業経営=生産集積が組織され、かくして金融(企業集団)コンツェルン形態での資本集中が実現するのだという。この資本集中にはドイツ国家の産業政策が絡み合っている。
たしかに、ドイツに特有の金融集積と工業集積との結合による資本集中の形態を鋭く指摘してはいる。西ヨーロッパでの機械制大工業の発達と資本集中の結果、大工業部門の世界市場での競争力を持ちうる企業資本規模は、飛躍的に大きくなった。ブリテンのヘゲモニーに挑戦しようとする後発国家ドイツでは、銀行資本の力量を背景に短期間に産業集積・産業集中を組織化しようとする動きが顕著になった。
けれども、資本と国家の権力構造に関して言えば、この傾向は、ドイツの再生産構造のごく一部でのものであって、ようやく国民的統合を達成しつつあるドイツ国家がその産業政策を発動するにあたって駆使した、旧来からの王権と(世界貿易・国際金融を営む)商業=金融資本との癒合と産業支配のメカニズムについては、考察からすっかりこぼれ落ちている。
ドイツ国家中央政府と有力資本グループとは結びついて独特の産業=金融支配の権力構造をつくり上げ、世界市場戦略としてブリテン資本ブロックならびに合衆国資本ブロックに対抗して、強固な国民的資本ブロックを組織化しようとしていた。その仕組みと動きを分析しなければならない。
要するに、ヒルファーディングは、マルクスの《資本》の1巻・2巻の論理から直接に独占=金融資本の権力と蓄積様式を導き出しているだけなのだ。総体としての資本の支配の考察は望むべくもない。
ロシアのヴラディミール・リェーニンも《資本》の資本集中の傾向の分析に直続させる形で独占資本の形成を論じた。国際的カルテルや資本輸出などの資本の国際化と結びつけて、植民地の再分割闘争などの先進諸国家の帝国主義的政策の特徴を考察した。だが、そもそも世界市場が多数の国家に政治的・軍事的に分割されているという構造が資本蓄積にとって持つ意味については、目を向けなかった。
こういう思潮のなかで、ローザ・ルクセンブルクだけが資本蓄積の分析に本源的蓄積のモメントを組み込む方法論を示唆した――示唆以上には出なかったが。