――マルクスの解体と再構築――
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さて、このように、技術革新によって剰余価値率の生産を拡大していくこの資本蓄積様式は、ひとたび始まると永続的に進行していく。この過程は歴史的には、18世紀後半からの「イングランド産業革命」として始まった。だが、イングランドではきわめて中途半端に産業革命の動きは減速し、むしろ大陸ヨーロッパでダイナミックに展開していく。イングランドで実際に大工業部門に採用されるような生産技術革新は停滞し、19世紀半ば過ぎには、大陸ヨーロッパやアメリカ合衆国に追いつかれてしまう。
だから、日本の社会科教科書に書かれてきた「ブリテンは世界の工場になった」という状況は一度も起きなかった。むしろ、「世界のブロウカー」になったというべきだ。
世界貿易=世界金融を支配するシティの商業資本=金融資本の寡頭支配層は、ブリテン政府の国家の産業政策や産業育成にかかわる金融財政政策に強い影響を与え続け、産業革命・技術革新を継続的に推し進めるような方向には向けさせなかったからだ。この世界貿易=金融セクターと工業部門との利害対立と前者の圧倒的優位ついて、ジョン・メイナード・ケインズは辛らつに批判し続けた。
ところで、綿工業では、こうした機械化による技術革新=開発は、最初に生産設備の動力系から開始された。蒸気機関による動力を紡績や単純織布行程に伝達するメカニズムの開発から。これは、既存の機械工程での作業速度の増大による労働強化、搾取率の拡大をもたらす。これは、必然的に職人的労働者の不服従や強い抵抗を呼び起こした。
当然のことながら、作業機械に回転運動や往復運動を与えていた作業を担っていた労働者は、工程から追い立てられ、解雇された。
次に、機械化は、この熟練労働者の作業手順を機械化するための技術開発が展開する。本来の工程の自動機械化だ。これによって、生産工程からの熟練労働者(それは労働者の自立性や尊厳、自尊心をともなう)を排除し、あるいは彼らの抵抗や不服従を押しつぶしていく。
労働者の作業(人間の活動)は、生産工程の主力から、機械作業の補助でしかない役割に押し下げられていく。人間は機械の主人ではなく補助者=従属者になっていく(映画「モダンタイムズ」を見よ)。人びとは、断片化された単純作業を反復するマシンになっていく。
ところで、1970年代後半からヨーロッパのマルクス主義義者たちの実証研究によると、産業革命=技術革新と相対的剰余価値の生産は19世紀後半以降に加速し、20世紀になって本格的に進展していることが判明した。その成果を受けて、政治学者のプーランツァスは、技術革新=相対的剰余価値の生産の進展は、多国籍企業という形態での資本の国際化=世界化の運動と結びつけて分析すべきで、その文脈でマルクス派の国家論を再構築すべきだという方法的提言を残している。
これまで見たきたことから明らかになることは、伝統的なマルクシステンが考えてきたような資本主義的経済の「モデル」とされた「ブリテンの産業資本主義」なるものは存在しなかったということだ。ブリテンの工業資本は終始一貫して商業資本ないし金融資本の権力に従属し、統制されていたということだ。そして中世晩期以来の王権国家と結びついた「旧い独占」、身分秩序と結合した寡占=寡頭支配
Oligarchie が続いてきたということだ。
もちろん「下からの資本主義的発展」なる絵空事もなかった。権力構造としての資本主義の成長は、ずっと王権や貴族の権力と結びついていた商業資本の支配のもとで展開してきたのだ。
それはまた、「自由競争の産業資本主義」段階から「独占資本主義」段階への移行発展という歴史図式も成り立たない、このパラダイムは崩れ去ってしまうということだ。つまり、資本主義発展の歴史図式という幻想もまた崩れ去ってしまうことになる。
後発諸国では、国家と経済のエリートがブリテンをモデルとする「近代国家の建設」「近代国民経済の建設」の戦略スローガンを掲げたことから、そのモデル・イデオロギーが公教育制度に持ち込まれ、あたかもブリテンが産業革命=資本主義発展のモデルとするかのような歴史観が普及したのだ。もっとも、それは、ブリテンのエリートが世界の指導者として振る舞うために意識的に振り撒いた世界観=イデオロギーだったのだが。