その日も、ローラ・クィンは朝早くロンディに出勤した。そして、彼女が一通り仕事の段取りを取り終える頃、重役たちや管理職が出社してくる。
支配人のイートンは出勤後の最初の仕事として、ダイヤ原石や商品を保管する金庫室の扉の鍵を開ける。この扉は直径2メートル、厚さ50センチの鋼鉄製円形扉で、ブリテンの戦車メイカーのヴィッカーズ社の提供する鋼材で製造されている。扉の施錠システムは、最新の電気システムでおこなわれる。3つのダイアルの組合せ暗証目盛りを合わせて、ようやく開錠にいたるのだ。
その暗証コードは、最高経営者のミルトン・ケンドリック・アシュクロフト卿だけが知っている。通常、彼が毎週の頭にその週の暗証コードを決めるのだ。
そのミルトン卿は豪華な重役室に入った。重役室には、一般オフィサーとはまったく別のエントランスがある。その部屋では、朝刊の記事が問題になっていた。
朝刊のヘッドラインは、南アフリカのダイアモンド鉱山での悲惨な事故を取り上げていた。映画の冒頭の場面であったように、露天掘りにしろ抗掘りにしろ、ダイア原石を土壌から分離するために大量の水を土中に放出するので、しょっちゅう事故が起きる。なにしろ、人工的に土砂崩れを引き起こして採取するのだから。
今回の事故では100人以上のアフリカ原住民労働者が死亡したという。
だが、重役たちは、事故の責任を痛感し労働者の痛みを思って苦悩しているのではない。彼らの価値観の天秤のうえでは、労働者100人の命は、ダイアモンド1粒よりも軽いのだ。
まもなくソ連とのダイアモンド原石取引交渉が始まるというタイミングで、鉱山事故が発生したことでソ連に足元を見られて交渉が難航することを心配しているのだ。
当時、南アフリカに次いでダイアモンド原石を産出する国はソ連だった。
ところが、ソ連は表向き「労働者の権力」を標榜し、資本家的搾取を声高に非難する政治的立場を取っている。それゆえ、利潤本位の無慈悲な鉱山経営によって南アフリカのダイア鉱山労働者たちが災害に見舞われた事件を、当然批判して、国際的キャンペインを展開してくるだろう。
さらにソ連はザイールやアンゴラなど、ほかのダイアモンド産出国に対しても、アパルトヘイトを存続させようとする西ヨーロッパの「帝国主義的」諸国――主にブリテンとベルギーを意味する――への原石売渡しを拒否するよう求めるかもしれない。ダイアモンド世界市場への原石供給量が減少する恐れがあれば、原石の販売価格は上昇し、つまりソ連の外貨収入が増えるというわけだ。
アフリカ人労働者のための正義や人権を訴えるソ連のイデオロギーは、こうして自国の外貨収入を増大させる戦術であって、ソ連式の利潤原理の追求の方法なのだ。つまり、ソ連は純然たる資本の論理、資本に利害に沿って行動しているのだ。
ロンディ経営者の悩みとは、ソ連の表向きのイデオロギー的・政治的傾向は、今回のダイアモンド原石取引交渉の行方に暗雲を投げかけるだろうということなのだ。ソ連は、難癖をつけて、売り渡し価格の吊り上げを要求するかもしれない。
ソ連がロンディへの原料鉱石の一括引き渡しを拒否すれば、ソ連のダイアモンド原石の一部がロンディの競争相手の手に渡るかもしれず、こうしてロンディ・コンツェルンによる原料調達・供給経路の独占システムの一角が崩れるかもしれない。
とはいえ、アパルトヘイト政策によってアフリカ人労働者を抑圧し搾取しているという批判それ自体は、まったく事実を正しく指摘しているものだ。
さて、今朝、ミルトン・アシュトンクロフトと息子で重役のオリヴァーを乗せたロールスロイスが出勤のためロンディに乗り付けたとき、新聞報道を読んでロンディ・コンツェルンの悪辣な経営手法に義憤を感じた市民たちが会社の前で抗議集会をしていた。そして、南アフリカのアパルトヘイトに反対し鉱山事故を非難する市民運動家や左派のデモ隊がロールスロイスを取り囲んで抗議の意思表示をした。
ことほどさように、ロンディは反アパルトヘイト派の目の敵になっていた。