オリヴァー・アシュトンクロフトは富裕な貴族家系の若い世代にありがちな既存秩序には批判的な視点を持つエリートだった。ケンブリッジ在学中には、マルクシズムに惹かれてコミュニストたちとも親交を結んでいたこともあった。それゆえ彼は、ミルトンのようなアグレッシヴな資本家ではなかった。とはいえ、資本の権力の担い手であることには変わりないので、洗練された資本家だったというべきか。
そんな事情もあって、またローラが会社の危機を救った功労者でもあるということもあって、経営トップとしてのオリヴァーはその後もローラを解雇せずに雇用し続けた。しかし会社としては、女性蔑視の経営スタイルには変わりなかった。
3か月後、ローラはまたもや人事政策で昇進の道を閉ざされた。翌日、彼女は辞表を提出した。その経緯には、このあとで述べる事情が背景にあった。
ともあれ、あれからローラはホッブズ氏と再会することはなかった。
結局、ダイアモンド強奪はホッブズ氏の単独犯行として処理された。彼の姿はついに闇のかなたに消えたままだった。
ところが、しばらくしてスイス銀行家連合からの通知がローラの手元に届いた。彼女の名義の口座が開設されて、そこに1億ポンドが入金したというのだ。
新たな人事配置の発表の直前だった。
ローラは、ホッブズ氏の言葉を思い出しながら、自分の人生、自分の生きる目的を真剣に考えた。自ら手に入れるべき生き方とはどういうものか…を。そして、1億ポンドを基金にして、世界の飢餓救済や難民救済、難病治療研究への寄付などのために、使うことにした。
利子だけでも莫大な額になるので、元金の1億ポンドを寄付として使い切るまでに40年以上もかかった。
今日、若い女性の編集記者のインタヴュウの予定時間の少し前に、ようやく最後の400万ポンドを寄付することができた。
「あなたは、〈先駆けの女性たち〉の特集記事だと言いましたね。
今まで話してきたことは、人に先駆けた私の人生の「ほんの前史」にすぎないわ。
あの1億ポンドを使って何ができるか、私は悩み抜き、新たな人生を設計し開始しました。世界を救うためのほんのささやかな努力を続けること。そのために闘うことが、私の本当の人生なのです。
だから、私の本当の人生、目的が始まったのは、あの事件のあとからなのよ」
ローラは、巨額の資産を基金に貧困や難病の克服のために世界的規模で支援活動をおこなう、そういう活動の先駆者だったのだ。それに比べて、「一流商社ロンディ」のはじめての女性マニジャーとなったことなんかは、女性の生き方の模索としては物の数ではなかった…ということだ。
つまり、「あなたの取材の計画は、私から見ればまったく的外れよ、お嬢さん」というわけだ。
で、彼女は、1億円を基金にしての活動の記録をまとめた分厚いファイルを、記者に手渡した。あなたも、もう軽薄なヤングエグゼキュティヴの芝居をやめて、少しは世の中を勉強してちょうだい、という意味で。
そして、ローラは立ち上がり、カフェを出ていった。茫然と見送る女性エディター。