思わぬ成り行きに面食らったローラは、オフィスに向かう途中、夜勤を終えてロビーに向かうために階段を下りてきたホッブズ氏を問い詰めた。
「保温ポット1杯分だけという話だったじゃない。どういうつもりなの。隠し場所を教えてよ」
だが、そこにフィンチ氏がやって来たので、ローラはその場を取り繕って自分オフィスに戻った。
まもなく、彼女の部屋にフィンチ氏が尋問にやってきた。
フィンチは、「ホッブズ氏と知り合いなのか」と訊いた。
「夜遅くまで仕事をしているときには、ホッブズ氏がこの部屋に清掃にやって来ます。ときおりは会話をします。さきほどは、この部屋の暖房装置が不具合なので、修理を頼んだのです」
それからフィンチ氏は、従業員名簿から得たローラの年齢や学歴、職歴に関する情報を確認した。彼女が38歳で独身、17年間もロンディでの仕事一筋で来た経歴を確認してから、「あなたは知能明晰で、しかも野心的だ」と感想を漏らした。
明敏なフィンチは、この犯罪は知能明晰で計画性、自己抑制に富み、野心的な人物が企図=実行したものだと考えていた。しかも、内部の人間の仕業だと。そして、それを実行できるほどの能力を備えた人物は、見渡したところ、ローラ以外には見当たらないと判断していた。つまり、ローラが関係していると疑っていたようだ。
そこで、会話しながら、ローラの煙草の吸い方や脚の組み方、顔の表情(筋肉の反応)を観察していた。答えは「グレイ」だった。白とも黒とも判断がつきかねるということだ。
一方、ローラの側では、自分に向けられたフィンチ氏の強い疑惑を感知した。そんな状況に対応するために、ホッブズ氏がどのように2トンものダイアモンド原石を誰にも知られず、痕跡も残さず、盗み出したのかを探り出すためにも、彼女自身が会社側とフィンチ氏との連絡役になろうと決心した。捜査の進展状況をつかむためだった。
彼女は、その決心をただちに渉外部門の重役(上司)に願い出て、強引に連絡役を買って出た。
そのことを伝えるために、捜査のために金庫室にいるフィンチに伝えに行った。
彼は、建設(解体)工事業者を呼んで、金庫室前の廊下の壁や天井の一部を電気ドリルで破砕させていた。この建物の設計図どおりの構造・材質になっているかを確認するためだった。ローラは、廊下の台に置かれていた金庫室周りの建築設計図の青写真を持ち帰った。自分でもダイア原石盗難をめぐる謎解き・捜査を進めようとしたからだ。
このところローラは、犯行についてことあるごとにホッブズ氏を問い詰めていた。
まず最初に事件発覚の朝には、帰宅途中に毎日ホッブズ氏が寄るカフェに走り込んで、問い詰めた。
「話が違うじゃない。そっくり全部なんて。とにかく私はダイヤが必要なの。すぐ渡してちょうだい」。
その次は、ホッブズ氏の住居近く――イーストロンドンの河岸――まで行き、呼び出して問いお詰めた。
「いったい、どういうつもりなの?
ダイアモンドの隠し場所を言ってちょうだい。私が会社に返却して、示談にするから。このままでは、お互い一生刑務所暮らしになるわよ。犯行の目的はお金じゃないわね。何が目的なの」と。
他方、フィンチ氏は、強奪の時間帯に犯行場所のすぐ近くに長時間いたホッブズ氏を最有力の容疑者と見ていた。そこで、部下たちに彼に関する情報を集めさせていた。彼の行きつけのパブや趣味、好みのギャンブルなどを回らせ捜査させていた。
そして、彼が場末のドッグレイス(賭け)にときどき出かけることを突き止めた。さらには、事件の直前ホッブズ氏がドッグレイス会場にいる場面を写した写真を入手した。
その写真をフィルムの繊維粒子がわかるほどに拡大(焼き伸ばし)して分析した。すると、スタンドの群衆のなかにホッブズ氏の顔貌があった。そして、すぐ近くに美しい卵型の顔の輪郭が映っていた。すばらしい美貌と呼べるほどの顔の輪郭だが、顔立ちはわからない。
だが、フィンチ氏はその輪郭がローラ・クィンの顔立ちと一致すると判断した。
翌日、フィンチ氏はふたたびローラのオフィスを訪れた。彼女の指紋( finger print )を取るためだった。ここで2人は、またもや腹の探り合いと駆け引きを展開した。
「クィンさん、あなたはホッブズ氏と親しいようだ。ドッグレイスにいっしょに行きましたね」
「私は賭けごとは一切やりませんのよ。
ところで、あなたは独身なのでしょう?。やはり、こういう仕事をしていることが離婚の原因なのですか」
「そうです。生活が不規則で、真夜中でも家にいられない。家族には耐えがたい職業です」
2人のあいだにはチェスの指し手争いのように言葉が飛び交った。