しばらくして、ワイオミング州の都市、バッファローのクラブハウスでWSGAが総会を開いていた。組合の有力者、フランク・カントンが熱弁をふるっていた。
50人からのガンマン傭兵を組織して、ジョンスン郡の開拓農民の主だったメンバー125人を処刑者リストに乗せて「皆殺し」にしよう。そうして、一帯から「無政府主義者どもと犯罪者」を追い払おう、と檄を飛ばしていた。
カントンは、同じ富裕階級でありながら開拓農民に味方するジェイムズを裏切り者呼ばわりしていた。
そして、傭兵隊を動かして入植農民を駆逐するためには、皆殺し作戦に出る前に、邪魔者ジェイムズを町から追い出す手立てを講じようとしていた。
参集者のほとんどは、カントンの提案に賛成していた。だが、見るからにアルコール依存症のウィリアム・アーヴィング――以下、ビリーと表記――は、カントンの主張にチャチを入れていた。インテリの彼は暴力沙汰が嫌いだったのだ。
けれども、ほかの全員がカントンの意見に賛成すると、自分も賛成に回り、酒瓶を抱えてすごすごと部屋を出ていった。
酔っぱらったビリーがビリヤードルームに行くと、そこにはジェイムズがいた。ビリーは同窓生のよしみで、カントンの陰謀をジェイムズに打ち明けてしまった。
クラブハウスからの帰り際、ジェイムズはカントンと鉢合わせをした。2人は互いに殴り合った。ジェイムズは、開拓民の皆殺しは許さない、と言い放った。
一方、カントンは、開拓農民追い立て計画には、州知事が賛成していると言い返した。州政府は、今やWSGAの出先機関になっていたのだ。ワイオミング州の知事はもとより、州選出の連邦議員のほとんどはWSGAの利益代表で多額の献金を受けていた。
大統領府や連邦政府の主流派は、ワイオミング、アイダホ、モンタナ、オレゴンという北西部辺境諸州で大富豪地主――有力起業家となった大農場主・大牧場主――たちの専横が目につくようになっていたため、北東部の大工業資本の力の抑制と絡めて、19世紀後半には独占禁止諸法やホームステッド法などを制定した。しかし、北西部諸州選出議員たちの請願や横やりで、法案の肝心な部分は骨抜きにされたりして、地方ボスたちの横暴は止められなかった。