では、実際の事件はどうだったのだろう。
紛争の原因や背景は、この記事のはじめの方で見たとおりだ。ワイオミング州のエスタブリッシュメント大地主階級=畜産業者とヨーロッパから新規に入植した開拓農民階級との敵対である。
なにしろ、日本の大きな面積の県――岩手県や福島県、長野県――くらいの広大な土地を所有する地主=牧牛業者の育畜は、のべ数百キロメートル、場合によっては1000キロメートル以上にもおよぶ移動式の牧牛活動や放牧などによっておこなわれる。
そんな広大な土地では、移動や放牧の途中で群からはぐれる牛の数はかなりにのぼる――もちろん比率とすればごく小さい。もちろん、牛を所有する畜産業者は、牛の身体に烙印を押し、牧童やはぐれ牛の捜索係りに命じて、はぐれた牛の捜索や遭難や盗難の回避のための対策をおこなわせている。
だが、州全体や郡全体では、それこそ何百万頭、何十万頭もの牛が飼われている。毎年、その0.5%が盗難や事故にあったとしても何千頭(万に近い)、何百頭もの家畜資産が失われることになる。
そのさい問題は、新規入植者が農地――牧畜用地――開拓においてきわめて厳しい環境に置かれているということだ。合衆国の北部に位置し、山岳高地が多く、冷涼なワイオミングそのほか北西部辺境諸州では、冬や夏の気候が厳しい。冬のひどい寒波――零下20℃を下回り、厳しい時には−40℃以下になる――、夏の旱魃(水不足)などで、容易に不作や飢饉が襲いかかる。
しかも、山岳や湧水からの川や沼沢などの水利は、だいたいがすでに地主たちによって囲い込まれている。肥沃な土地についてもだ。
だから、不作の冬には、開拓農民たちは緊急避難的に、はぐれ牛をこっそり盗んで飢えをしのぐことになる。
たしかに、農民1軒当たりでは、1冬に1頭ないし数頭にすぎない。だが、何百家族となると、畜産業者にとっては腹にすえかねる被害となる。
さて、大地主(牧牛業者)たちは早くからワイオミング畜産者協会WSGAを結成して、富裕階級として政治的に凝集して、州全体に絶大な影響力をおよぼしていた。州知事選挙でも、彼らの支持がなければ支持拡大のための活動資金も集まらなかった。というわけで、州知事と州政府はWSGAと不可分に癒合していた。
州政府の手が届かない辺境郡での行財政を担ったのは、WSGAの組織だった。
いってみれば、WSGAは州政治を丸抱えしていたのだ。
というわけで、WSGAは、零細開拓農民による牛盗難を防ぐためにかなり強引な対策を講じても、州政府は黙認し、あまつさえ促進・支援した。そういう地方ボス支配の政治構造が堅固にでき上っていた。
WSGAの中核組織には、たとえばシャイアン郡のシャイアンクラブ、チェイニー・クラブなどがある。この映画のはじめの方で、カントンに指導されたWSGAメンバーがクラブハウスで集会をおこなっていたが、そのような過激で戦闘的なクラブである。貴族的だが、鼻もちならないエリート・特権意識をふりまく連中の集まりだ。