そこに連邦騎兵隊が現れた。
隊長は、傭兵を拘束・保護するので、開拓農民たちには手を引いて解散しろと命じた。騎兵隊には、カントンがつき従っていた。カントンの要請で騎兵隊が駆け付けたことは明らかだった。
傭兵たちを引き渡さないと、騎兵隊が実力で農民たちを鎮圧する。そして抵抗者は逮捕する、と威圧した。
すでに2日間にわたる戦いで消耗していた農民たちは、三々五々と散っていった。ジョン・ブリッジも馬車にもたれてかろうじて身を支えていた。もはや騎兵隊に抵抗する気力もなかった。ジェイムズも、苦々しい思いを噛みしめて退散した。
■エラの死■
翌日、ジェイムズは説得に応じたエラを連れて東部に戻る旅路に就こうとした。ジョン・ブリッジが馬車で2人を送ろうと、迎えに来ていた。
ところが、館の扉を開けた途端、銃撃を受けた。カントンが報復のために傭兵たちを引き連れて待ち伏せしていたのだ。
エラとジョンが体を撃ち抜かれて倒れた。2人とも即死だった。ジェイムズは拳銃を抜いて反撃した。その銃弾はカントンの首筋を貫通して殺した。スポンサーを失った傭兵たちは、すぐに逃げ出した。
彼らにとっては、復讐心や憎悪よりも、まず報酬だった。見返りに合わない戦いからは身を引く、というのが彼らのビズネスマナーなのだ。
この物語の最終シーンは唐突である。いや、物語は終わっていなのだが、映像がそこで断たれてしまったというべきか。
戦いから十数年後、1903年、東部のロードアイランド州ニューポート。ニューヨークよりも200km北東にある大西洋岸沖。
洋上には蒸気タービン・エンジンを搭載した豪華なヨット―ーというよりもクルージング・スクーナー ――が浮かんでいる。大富豪の持ち物に違いない。
甲板には、ジェイムズ・エイヴリルがいた。白いセイラーパンツに上着はコンノブレイザーコート。顔をしかめたジェイムズはキャビンに入った。
なかでは、豪華なドレスを身にまとった中年の女性がソウファに横たわっていた。倦怠感に満ちた病的な表情の女性だった。ジェイムズは彼女の傍らの椅子に腰を下ろした。
そこにサ−ヴァントが高級なシャンペインボトルを持って現れ、ジェイムズのグラスに酒を注いだ。
女性はジェイムズに煙草を取ってくれと頼んだ。ジェイムズは、これまた豪華なシガレットケイスから紙巻き煙草を抜き取ると女性の口にくわえさせ、火をつけてやった。
ジェイムズはシャンペインを1口飲むと、ふたたび甲板に出た。
ここで、物語は終わる。
あの女性は、ジェイムズの妻であろう。
ジェイムズは、荒々しい西部の生活から東部の大富豪の生活に戻ったのだろう。
こういう中途半端な終幕となったのは、映画の監修・監督者が目まぐるしく交代し、制作編集方針も安定しなかったからだろう。
公開後、賛否かまびすしく評論・批評が飛び交った。アメリカのエリート層からは、階級敵対むき出しの物語について批判的ないしは非難めいた論評が出されたことは言うまでもない。
一方、合衆国内のリベラル・左派・急進派からはおおむね好意的な評価を得た。そして、ヨーロッパでも――ハリウッドがアメリカを自己批判するような歴史映画を制作したことへの評価もあって――まあまあ評判は良かったようだ。
当時、ソ連はまだ存在し、冷戦レジームも執拗に存続していた。アメリカで激しい論争が展開した背景には、レイガン政権が反ソ連戦略を強硬に推進断たことから、左右両派の間のイデオロギー論争がやかましかった状況もあった。