その頃、ワイオミングの大草原を馬に乗って駆ける1人の男がいた。トム・スミス。野生の馬を捕獲して、サーカスの曲芸を仕込むためだった。彼は、西海岸一帯を都市集落から集落へと移動して数々の曲芸を見せるサーカスの団員で、馬の調教師をしていた。
彼は馬の性質や気質を上手に把握して、どんな野生の暴れ馬も仲間のように飼い馴らして、芸を仕込んでいった。そのさい、けっして馬を乱暴に扱い力で押さえ込むというやり方は取らなかった。馬の心をつかむのが巧みだった。むしろ、人よりも馬の方が好きだった。
ジョン(レッド)・マイケル・ポラードは、1909年カナダのアルバータ州で生まれた。
彼の祖父は、アイアランドからの移民だった。レッドの父親は、カナダ、アルバータ州、エドモントンで煉瓦工場を経営していた。そこそこ裕福で読書好きだった父親の影響で、ジョンは幼い頃から古典文学に親しむようになり、趣味は読書となった。
そして、乗馬が得意な少年だった。馬と会話するように一体になって牧場を走り抜ける姿を、彼の両親は誇らしく思っていたという。
これが、原作でのジョンの生い立ちだ。
ところが映画では、ポラード一家はアメリカ国内の北部(ミシガンあたりか?)で暮らす中産階級としてだけ描かれている。
「空前の好景気」に沸いていたアメリカ経済は、急速な膨張の頂点で弾けて、ダウンターン(急下降への道)に突入した。
1929年9月まで、ニューヨーク証券取引所の株価は史上最高値を更新し続けていた。ところが、10月29日(暗黒の火曜日)に突然、株式市場で暴落が始まった。金融バブルで信用の連鎖は複雑に絡み合いながら伸びきっていて、一度どこかで破綻が起きると、信用の連鎖は粉々に砕け散り、取引の参加者の誰もが支払能力の逼迫感に直面した。
ひとたび株価は回復しかけたが、その後止め度のない下降をたどり続けた。
ところで、それまで続いたアメリカの高度成長のきっかけとなった第1次世界戦争は、ヨーロッパが主戦場となり、この戦争ではアメリカのヨーロッパのライヴァル諸国は2つの大陣営に分裂して互いに破壊し合っていた。軍需物資や戦略物資から生産財、消費財の多くがヨーロッパ市場では欠乏逼迫した。その需要をまかなったのは、主にアメリカ(と極東の日本)で、戦争中と直後の復興期をつうじて、巨額の貿易黒字を積み上げた。
主戦場となったヨーロッパは疲弊し、世界市場での競争から後退した。ところが、戦後、アメリカは世界の決済用金準備のおよそ56%から60%を保有し、世界の工業生産力の4割近くを占めるほどに、地位を強めた。ただし、ヨーロッパが戦争の痛手から回復すると、アメリカの生産力の比率は下がった。ただし、金保有の割合は維持した。
そして、アメリカはヨーロッパをはじめ世界の多数の国の政府や民間銀行、民間企業に対する膨大な債権――借款や銀行融資、株や社債保有、直接投資など――を手にしていた。まさにアメリカは、世界金融と信用循環、貿易を組織化する中枢=エンジンの役割を担っていた。
そのアメリカでの金融市場の破綻だった。