ところが、ハウワードのマスメディア相手のプロモウション(人気取りのための演出)は、調教師トム・スミスの気分をいたく害した。トムはハウワードに辞任を申し出た。
ハウワードは理由を尋ねた。
「シービスキットは祭りのイヴェントの見世物ではない。必要な休息を取らせ、そのほかは力をつけるためにひたすら調教と訓練が必要なんだ。今のやり方では、だめになってしまう」。これがトムの答えだった。
ハウワードは反論した。「でも、レイスではずっと勝ち続けているじゃあないか」。
ふたたびトムの反論。
「いや、本当の王者とはこういう馬をいうんだ」と言って、東部の有力なスポーツ新聞を見せた。そこには、トップ記事でウォアアドミラルの偉業をたたえる記事が掲載されていた。
1937年、3歳馬のウォアアドミラルは東部の重賞三冠馬となり、この年の「エクリプス賞」――最優秀競走馬を決めるうえで最も権威ある投票――を受賞した。馬高(地面から馬の背までの長さ)は183cm。その巨体をダイナミックに躍動させて走路を駆け抜ける姿は、まさに王者に似つかわしかった。
一方、シービスキットは馬高162cm。血筋では、ウォアアドミラルがマンノ’ウォアの子で、シービスキットが孫(アドミラルの兄弟馬の子)という血統を共有していた。が、もし並べば子馬と親馬くらいの体格差があった。
ハウワードは、挑戦意欲をくすぐられた。トムを引き止めて、シービスキットを東部の三冠馬にしてアメリカ最優秀馬、ウォアアドミラルに挑戦させようと決意した。早速記者会見を開いて、この2頭を同じレイスで走らせたいという意向を表明した。
マスメディアは沸いた。東部の最優秀馬と西海岸の最優秀馬とを競わせて、アメリカで最高の馬を決めようというのだから。
ウォアアドミラルの馬主、大富豪サミュエル・リドルのもとにはやはり記者の大群が駆けつけた。だが、「シービスキットの挑戦についての感想は」という記者の質問には、相手にする価値もないと冷たい答えを返した。
「へえ、カリフォーニアでも競馬文化が芽生えたらしいね。でも、ヘヴィー級のチャンピオンがミドル級の挑戦者を相手にするか。しないだろう」と。
この横柄な大富豪は、東部で最も豪華な競馬場、ピムリコのオウナーでもあった。その持ち馬の馬体と同じくらいに態度もでかいのだ。まあ、実績とレイスの格式からすれば、当然ではあったのだが。
ポラードたちは、リドルの無視と冷笑に憤った。いわばアメリカ経済を牛耳っている東部財界の西海岸に対する侮蔑と軽視も込められていたかもしれない。
それでもハウワードは執拗にウォアアドミラルへの挑戦を続けた。今度のキャッチコピーは「アメリカ全体で最高の馬を決めるレイス」。サンタ・アニータで北米各地の優秀馬を集めてナンバー1を決めるレイスを企画して、その賞金10万ドルのスポンサーになったのだ。
サンタアニータのオウナー(鉄道の経営者でもあるらしい)には、「世紀の大レイス」に連邦中から観客・競馬ファンが集まって、鉄道も競馬場も巨額の収益が見込める、と売り込んで了解を取り付けた。
トップクラスの馬が集まったレイスでシービスキットが勝てば、相手も無視できなくなるだろう、という読みもあった。
マクゴーリンもラディオで、この大レイスの広報に協力した。前評判は上々。
巨額の賞金と北米ナンバー1をめざしてアメリカ各地のレイスで好成績を記録した馬たちが出走登録した。が、ウォアアドミラルは不参加。またしてもリドルは冷笑で応えた。