「アメリカ bP」の折り紙を受け取ったシービスキットは、その後も、数多くの重賞レイスに出場して勝鞍を重ねた。1938年のサンタアニータ・ハンディキャップでの出走後、走れなくなってしまった。足の故障が原因だった。疲労がたまっての傷害だった。とくに右前足の靭帯が断裂していた。
当時の治療技術では、この馬がレイスに復帰できる見込みはほとんどなかった。
獣医は安楽死させるかと尋ねたが、ハウワードは気長に回復休養させることにした。
それでも、飛び抜けて優秀な馬なので、できるだけの治療を受けて、引退後の生活(種馬としての生活)のためのリハビリに取り組むことになった。
ハウワードは、ポラードがリハビリしている牧場にシービスキットを送って、この似た者どうしペアに安楽な引退後の生活を送ってもらおうとしたらしい。
ところが、ポラードは自分自身にも厳しいリハビリ訓練を課しながら、シービスキットの再起をめざして一生懸命世話をした。とはいえ、馬には無理はさせなかった。いっしょに牧場の草原や森を歩いて、「会話」を楽しんだ。
対話する仲間、いっしょに暮らす相棒がいる生活は、身体や精神の傷や痛みを想像以上に回復させるようだ。
シービスキットは長距離を歩けるようになり、やがてキャンター(軽い駆け足)ができるようになった。ついには、疾走できるようにもなった。
ポラードはおそるおおそる背に跨り、歩行させてみた。無理をせずに、時間をかけて、シービスキットが人の重みに耐え、慣れるように訓練した。やがて速歩、キャンター。そして距離を伸ばしていった。全力に近い疾走も試してみた。シーボスキットの筋骨能力は完全に回復しているようだ。とうとう、長い距離を疾駆することができるようになった。
一方、ポラード自身は、傷だらけの脚を保護するために添え木を縛り付けて、衝撃や揺れに耐えるように訓練していた。ポラードは、回復のために大食漢になった。蛋白質とエネルギー源が必要だったからだ。骨の回復と筋力の回復のために、それだけ長時間の運動もしていたのだ。
体重を抑えるために、以前のポラードは驚くほど小食だった。それが、急に大食いになったので、ハウワードやマーセラはびっくりしたが、ポラードの回復への意欲の現われだと思って内心喜んだ。