しかし、マスメディアはこぞって注目して、アメリカ中に話題が広がった。
さて、レイス当日。
トムはポラードにいつもどおりのレイス運びで走るように指示した。そして、レイスでは前半、シービスキットは後方に位置取り、最終カーヴの入り口あたりから速度を上げて外側から集団を抜け出し、そのまま直線コースで先頭に立った。
だが、名馬ロウズモントが飛び出してシービスキットに肉薄。ゴール直前で追いつき、鼻の差で勝ちをさらった。右目が見えないポラードは、外側(右側)からロウズモントが追い上げ差そうとする気配がわからなかったのだ。
レイス後、更衣室に向かうポラードをトムは責めた。あんなにすごい勢いで差してきたのに気がつかなかったのか、と。「仕方がない。俺は右目が見えないんだ」とポラード。トムは愕然とした。片目の見えない騎手なんて、と絶句。
この事実をトムはハウワードに報告し、別の騎手を探すように提案した。だが、ハウワードは「騎手は変えない。ポラードでいく」。そして、驚くトムに一言。
「少しくらいの欠点があっても、見捨てることはないだろ」
サンタアニータでのシービスキットの敗北を受けて、リドルはこき下ろした。「まあ、これが実力さ。トップクラスが集まったなかでは、そんなものさ」。その評価を新聞は書き立てた。「騎手の頭は空っぽ」とも。
しかし、ハウワードは記者会見で宣言した。
「今後もシービスキットの騎手はレッド・ポラードだ。誰だって負けることはある。だが、大事なのはめげずに立ち上がり、挑戦することだ」と。
おさまらないのはハウワード。挑戦を受けざるを得ないように追い込む作戦に打って出た。キャンペイン・トゥアーだ。ウォアアドミラルが出走登録したアメリカ中の有名レイスに出場する大遠征をおこなった。リドルは出走を取り消し続けた。
するとハウワードは、行く先々で大衆やメディアを集めて、「この小さい馬とウォアアドミラル(ダヴィデとゴリアテ)との1対1の決戦を見たくないかい。実現しようじゃないか」とか、「相手は恐れている」とプロヴォケイション(挑発)を繰り返した。
小さなシービスケットを民衆に売り込んで、尊大な大富豪を「世論」の力で包囲し追い詰めて、ウォアアドミラルとの対決を迫るという作戦だった。ポピュリズム・マーケティングというべきか。
世論の包囲網を受けて、リドルはハウワードをピムリコのクラブハウス・レストラン(王宮にような)の食事に招待し、一騎打ちの対決の受諾を伝えた。ただし、レイスの場所は、リドルが所有する競馬場、ピムリコという条件をつけた。そして、スタートの合図はベルということになった。決戦の日は、2週間後の11月1日。
ウォアアドミラル陣営は、馬の体躯だけでなく、何もかもがけた違いに大きかった。 まず、競馬場が巨大で豪華だった。広大な馬場と育成牧場をともなっていた。
そして、あてがわれた厩舎。ピムリコ付設の厩舎で、通常はゲスト馬専用だったが、まるで王宮並みの広さ。
ハウワード夫妻とトム、そしてポラードは、こっそり相手の厩舎の偵察に出かけた。そして驚いた。
ウォアアドミラルの厩舎は、まるで金持ちの別荘のように瀟洒で豪華夏な造りだった。そして、馬の大きさに。その鞍は、専属騎手の頭上8インチ(20cm)のところにあった。そして発達した筋肉。
しかし、本当の衝撃は、ウォアアドミラルの馬場での試走を見たときにやって来た。まるで大型機関車のような力強い走り。躍動感ある大きなステップ。大きな持久力。
ハウワードたちは愕然とした。シービスキットのウォアアドミラルへの挑戦は、巨人ゴリアテにダヴィデが立ち向かうようなものだった。