トムはいくらかのレイス用の調教を施してから、試しにタンフォラン競馬場のダートコース(芝生がない土むき出しの走路)のでシービスキットを走らせることにした。トムはポラードに「6ファーロング(日本の競馬界ではハロンと呼ぶ)のポールの手前から全力で走らせるように」と指示した。
ダートに出ると、ポラードが軽く鞭を当てて走らせ始めた。シービスキットは素直に走り出したが、先日、牧場を走ったときに比べると遅いペイスだった。シービスキットの走りに期待したチャールズとマーセラは、双眼鏡で馬を追った。けれども、トムは馬が気のない走りをしていると見た。
「ああ、眠ってますよ。あの走りでは」と言って、ダートから目を逸らした。
それでも、トムは記録を取るためにストップウォッチのボタンを押していた。
コースの半ば以上を過ぎたところで、前方のコーナーに「追い切り(レイス前の疾走訓練)」をしている競走馬が1頭、見えた。シービスキットの目は、一目散に走る仲間をとらえた。
その瞬間、シービスキットの全身に柔らかな緊張が走った。飛ぶように躍動的な走りが始まった。またたくまに追い切りの競走馬に追いつき、追い抜いた。ものすごいスピードで、あっという間にゴールを駆け抜けた。
カーヴを抜けるところから、ハウワード夫妻は双眼鏡の向こうの光景に釘付けになった。それくらいに見事な走りだった。
それを見たトムは、彼らの双眼鏡の視線の先を見た。シービスキットがものすごい勢いで追い切り馬を抜こうとしていた。
夫妻に「競争相手がいると、馬は張り切るんですよ」と言った。
ゴールラインを駆け抜ける瞬間、トムはストップウォッチのボタンを押して、レイスコースを周回したタイムを確認した。 「この競馬場のコースレコードを破りました」と、トムはにんまりした。
この映画では、メインテーマの物語の流れのところどころにアメリカの大不況の様子、その状況の変化についての解説が挿入される。
シービスキットとポラードのコンビが競馬界にデビューしていく場面の前にも、経済危機の最悪の局面からの回復の様子が描かれる。
一般に、世界大不況の時期は1929年〜33年とされている。フランクリン・デラーノ・ルーズヴェルト大統領が提唱・指導した新規巻き直し政策――これには大統領府と連邦政府組織の大規模な再編がともなった――によって、連邦国家装置が経済的再生産に広範に介入して、金融システムの再編やインフラストラクチャーの建設、新たな技術開発の誘導をおこなった。
これによって、産業と消費の双方で新たな有効需要の創出が達成され、数多くの雇用機会や資金供給制度が創出されていった。この政策モデルは、第2時世界戦争後のヨーロッパの再建復興にも援用された。
とはいえ、一般市民たちが経済の復興回復を実感できるようになったのは、1936年頃からだった。しかし、その頃、ことにアメリカ以外のヨーロッパ諸国、日本では新たな経済危機が始まっていた。
そして、アメリカで《軍産複合体》が形成され始めたのは、まさにこのニューディール政策と国家装置の再編過程のなかでだった。大統領府の周囲には連邦全域から産業界・財界、学界・政界・官界の指導者(大立者)たちが組織され、軍事組織の統合、緊急管理局の設置、連邦金融システムの組織化、学術研究と軍事・産業技術のとの融合などがはかられていった。
このときはじめて、合衆国は完成された「国民国家」になった。
まさにニューディールは、アメリカの民主主義の確立とともに、世界経済での政治的・軍事的側面でのヘゲモニー掌握をエポックメイキングする事象であった。
映画では、1935年以降、経済的復興の足音がしだいに勢いを増し、競馬にも活気が戻り、以前よりもはるかに大規模なスポーツ(ギャンブル)産業へと成長していくトレンドが示唆されている。