この作品では、台詞のない、あるいはほとんどない出演者たちが輝くような存在感を放っている。もちろん、主人公のシービスキットは言うにおよばず。
最後にここでは「脇役」について述べることにしよう。
さて、その独特の存在感はまぶしく輝くようなものではなく、あわやかな光で、それが大らかになんとなく全体を照らしているような。
まず、シービスキットの世話係のサム(年老いた考え深そうな黒人)。ほとんど台詞はないが、シービスキットの行くところ、どこでもその手綱を引くのは、この老人で、画面全体をほどよく引き締めている。この人が要所要所で登場することで、場面に落ち着きと安心感を与える。キャスティングの妙を得ている。
サムの存在は、ハウワードの人柄や考え方を具現する人物配置で、このティームのありようを端的に表現している。
物言わぬ出演者ということでは、馬たちのなかでも、シービスキットの馬房の相棒の葦毛の大馬。大らかでユーモアと独特の安心感を与える、なかなかの役者だ。この馬もまた、作品のメッセイジの核心をそれとなく表象する存在だ。
寡黙だがその行動と存在が力強い光を放つ人物として、ポラードの好敵手にし親友の騎手ジョージ・ウールフがいる。内に並々ならぬ闘志を秘めた穏やかな紳士、アメリカやブリテンの優秀な騎手に多いタイプらしい。勝利の後にも誇ることも驕ることもなく、淡々とやり過ごす。
プロフェショナルリズムに徹する姿勢がすごいが、見方を変えれば、彼にとって勝利は――運が良ければ――日ごろの努力からしていわば当然の結果でしかないのかもしれない。「喜ぶほどのことじゃないさ。そんな暇はないよ。次のレイスが待っているんだから」ということか。
以上のようにもの静かだが大らかで、じわじわと存在感を放つ役柄に対して、鉄棒引きというべきか、いつも喧しい競馬実況中継アナウンサー、ティック・タック・マクゴーリン。狂言回しを兼ねながら、昔の映画の弁士のように、シ―ビスキットのレイズをめぐる動きを大げさに大衆に伝達する。
一方で、ハウワードの牧場の静穏な雰囲気、とくに晩秋の紅葉に囲まれたたたずまいがシービスキットとポラードの生活の場として描かれるが、他方で民衆の欲望と熱気であふれた競馬場の華美と喧騒を描き出すのがマクゴーリンの誇張した台詞だ。
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