日本向けヴァージョンでは描かれない(カットされた)が、実際には、シービスキットは、1936年8月22日にデトロイト(急速に工業生産を伸ばしていた自動車の町)でデビューした。そのときは、大して目立つほどの走りは見せなかった。だがその後、急速に力をつけて何度か優勝をさらい、東部の競馬界で注目を浴びるようになった。そして、デトロイトの「ガヴァナーズ・ハンディキャップ」、ニューヨークのエンパイアシティ競馬場の「スキャースデイル・ハンディキャップ」で勝鞍を重ねた。
ハンディキャップレイスとは、前のレイスで勝った馬にハンディキャップとして重りを背負わせて、力の差を縮めようとする競争方式。勝利を重ねる馬ほど、より重いハンディキャップを課される。
その年の11月、ハウワードはシービスキットの戦う場を西海岸に移した。
映画での列車旅行のシーンは、東部から西海岸までシービスキットとともにハウワードのレイスティームが移動する場面だと思われる。映画の日本向けヴァージョンは、日本の劇場での営業用上映時間に合わせて、物語の流れがつかめなくなるほどにいくつものシークエンスをカット編集されてしまったようだ。
日本の配給会社の要望なのか。それとも日本市場は、ハリウッドからなめ切られているのか、映画狂の私としてはやり切れない思いがする。
ヨーロッパのヴァージョンDVDを取り寄せても、解読コードが違うので、みることはできないという。
その当時、西海岸の競馬界はまだ幼弱で、それゆえ、シービスキットは最初から圧倒的な力の差を見せつけて優勝した。
ベイブリッジ・ハンディキャップでは、シービスキットはスタートで失敗し、なおかつ53kgのハンディを乗せていたにもかかわらず、最後には5馬身の差で圧勝。そののち、西海岸で最高の栄誉あるレイス、サンタアニータ・ハンディキャップ(優勝賞金12万5千ドル:現在の物価にしてその12倍、1億7千万円くらい)でも優勝した。
とはいえ、馬の体調の調整の失敗とかレイス運びでのミスとかで、いくどかは負けることもあった。しかし勝率としては圧倒的だった。
では、映画の物語に戻ろう。
さて、この映画で競馬を中継するラディオジョッキイのティック・タック・マクゴーリンは、文字通りの狂言回しを演じる。
シービスキットのデビュー戦では、マクゴーリンは西海岸では無名かつ無冠のこの馬をめちゃくちゃにけなす。だが、サンタ・アニータで勝利すると、前言の非を認めてシービスキットの実力を評価し、声援を送るようになった。そして、ことあるごとにシービスキットの活躍を誇大に報道するようになった。
競馬では、やはり実況中継のアナウンスの妙が雰囲気を盛り上げるからか。キャスティングの妙というべきか。
彼は演出過剰の放送をする。つまりは、「やらせ= making 」だ。これに冗句と誇張を織り交ぜる。
あるとき、シービスキットの強さの秘密の1つとして、「レイス前にビールを3パイント」という冗談を流したところ、翌日からシービスキットの厩舎には、アメリカ各地のファンから送られた箱詰めビールの山ができた。